墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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八代台古墳群 天王塚古墳 成田ニュータウン(公津原)の古墳③

玉作遺跡から八代台古墳群の一部である22番~24番を目指す。住宅街の生活道路を探していくと、とある一角が緑で盛り上がりがあっていた。

玉造4丁目9番地。

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南側にある階段の上がちょっとした広場になっていて、円墳1基と方墳2基が寄り添っている。

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・22号墳 円墳 全長8m 高さ1.5m

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・23号墳 方墳 全長18m 高さ2.5m

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墳丘から南側。地面の高さも住宅街より高いので、2階の屋根くらいの高さになる。

左が入り口の階段、右が22号墳。一戸建てが6軒くらい建てられそうな広場。よく残った!

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墳丘から北側。24号墳と樹林がある。

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・24号墳 方墳 全長11m 高さ2m

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・24号墳と隣り合う、複数の大木が円形に並び立つエリア。もとは古墳のようでもある。中心には石の祠。

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24号墳から23号墳。きちんと角があって方墳とわかる。

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角のアップ。四隅突出墓のような盛り上がりがあるようも見えるが、角が通り道だと自然にそうなるかも。

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住宅地の古墳公園から南に300mくらいの位置に、2つの神社を載せた前方後円墳があった。

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八重桜のアプローチ。石の門柱が厳かな雰囲気をつくっている。

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鳥居の前に見慣れた案内板があった。こちらが前方部側になる。

・21号墳(天王塚古墳) 前方後円墳 全長63m 高さ4m

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前方部墳頂に八坂神社の祠がある。

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後円部墳頂には浅間神社。中心軸から斜めに設置されていた。

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祭神は木花咲耶姫。

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後円部社殿裏から前方部。

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社殿から正面に木製の階段が整備されていた。

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後円部を階段下から見上げる。

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古墳の周りには周溝、周堤が残っているように見える。

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前方部右下から、周堤上の並木を通して見た天王塚古墳。

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周囲の土地も含めて保存されており、近づいたり離れたりしながらじっくり鑑賞できるのでありがたい。

後円部階段下から道をはさんで吾妻神社があった。 こちらで御参りしていたときに、浅間神社の鈴が鳴った。地元の方の参拝のようだった。

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「吾妻塚ともドウロクジンとも呼ばれる直径7m、高さ1.5mほどの古墳の上にあり、弟橘姫を祭神としている。吾妻塚は、日本武尊が東征のおりに印波の湖(印旛沼)を渡る際、かつて走水で入水した弟橘姫をしのんでゆかりの品を埋めたところといわれている」そうだ。(房総の古墳を歩くより)

弟橘姫のことが印旛沼でも思い起こされたとは。リアルな感じもする。

続く。