前回のつづきの祇園原(ぎおんばる)古墳群。
グーグルアースで見ると、前方後円墳がさまざまな方角を向いて集っていることがわかる。
見学者用駐車スぺースのすぐ後ろ(西側)では、墳長80mの58号墳・百足塚(むかでづか)が後円部を北に向ける。
詳しい説明板があった。
国史跡 新田原古墳群 百足塚古墳(新田原58号墳)
■百足塚古墳の概要
祇園原古墳群のなかでも4番目に大きい百足塚古墳は、墳長約80m、後円部の高さ約6mの前方後円墳です。後円部、前方部ともに2段で、墳丘の周辺には盾形の周溝と周堤が巡ります。出土品などの特徴から古墳時代後期前半に造られたと推測されています。
日向地方(現在の宮崎県と鹿児島県大隅半島一帯)では、古墳時代後期の前方後円墳としては最大規模のもので、横穴式石室の採用や多量の形象埴輪の配置など、後期前半に活躍した首長の姿が彷彿とされます。
平成9年度から発掘調査され、平成22年から24年度に復元整備を行いました。
■横穴式石室
首長を埋葬したところは、後円部第1段に設置された横穴式石室でした。石室は、天井部を1段目のテラスの位置に配置し、古墳の裾部からスロープ状に進入するような墓道があります。内部は未調査ですが、横穴式石室を採用する古墳の少ない宮崎県域でも最初に造られた例であると考えられます。
■多量の円筒埴輪列と形象埴輪群の配置
墳丘の各段(墳頂とテラス)と周堤には円筒埴輪が並べられ、その数は1000本におよびました。墳丘の要所と周堤の要所には、それぞれ盾形と盾持ち人形の埴輪がおかれ、古墳に近づく邪悪な魂を退ける役割を期待したものと思われます。
墳丘の西側周堤には多量の形象埴輪が配置されていました。その数は現在確認できるだけでも60点以上あります。
平成25年3月 新富町教育委員会
墳丘の西側からは個体数60以上の、さまざまな種類の形象埴輪が出土している。
形象埴輪群の配置
■形象埴輪の発見
平成10年度に行った発掘調査で、墳丘の西側から多量の埴輪片が出土しました。これらはすべて、百足塚古墳が造られたときに周堤上に整然と配置されたもので、周溝や外周堀に転落した状態で発見されました。復元の結果、確認できる形象埴輪の個体数は60以上で、発見されたものとしては、西日本でも有数の数と種類となりました。
■種類とその配置の目的
その種類は、人物や建物のほか、鶏・犬・鹿・馬などの動物、甲冑や太鼓などがあり、神がかりして性器を見せる女性など、全国的に出土例が少ないものもあります。
出土状況を整理すると、配置された当初の様子は「人物と建物の空間」から、「人物と動物の空間」へ変化していることが想像されます。
形象埴輪群を並べる目的にはさまざま説があり、埋葬された人物の生前の生活を再現するという説や、埋葬された人物の財産などを誇示する説などがあります。
58号墳(百足塚)を前方部左裾から。
後円部の先端側。周溝、周堤がきれいに廻る。
中央奥の標高が高い場所に59号墳が築かれている。
後円部の斜面の途中、テラス状の箇所から、前方部方向を。
後円部の墳頂を。
前方部墳頂へ移って、後円部方向を。右の高い場所に59号墳、左には68号墳が見えている。
前方部左裾側。すぐ先には前方部をこちらに向けた56号墳・水神塚、その左には後円部をこちらに向けた52号墳。
百足塚の墳丘を降りて、周堤から振り返る。左奥が前方部。
上記の位置から少し左に向くと、東側側面の周溝と周堤。
上記の位置で右を向くと、見学者用駐車場。中央と右の高まりも古墳(円墳)
さらに右へ身体を回転させると、斜面の上に59号墳。
基壇の面まで登って、前方部左裾へ。
そこから前方部に上がらせていただいて、後円部方向を。
振り返っての前方部先端側。
後円部へ移動して先端側方向を。
振り返った前方部側。
そこから見た58号墳・百足塚。左奥に48号墳・弥吾郎塚も写っている。
そこからくるっと右を向くと68号墳。他にもそこここに、沢山の円墳がある。
墳丘から、墳丘を一望するという至福のひと時になった。
なお、検索していたら新富町教育委員会発行による、とてもわかりやすい資料に行き当たったので、ご覧になるとよいかと思います。
「新田原古墳群と百足塚古墳のはにわ 平成22年度百足塚古墳のはにわ展 展示リーフレット」