前回のつづき。
房総のむらの「江戸時代エリア」から、森の中の小道を辿っていく。途中林の中に古墳もあって、歴史も遡っていく雰囲気。
小さな谷へ降りて、再度上ったところに資料館がある。外の車道を通って資料館正面の駐車場に停めることもできる。
「房総のむら」の施設の位置づけなので、資料館のみ入館でも、むらの入場料がかかる。とはいっても大人300円だが。
展示物の撮影は「個人の趣味なら可だが、ブログ掲載は不可」とのこと。
なので、館内風景だけ載せます。
下記は入ってすぐの展示風景。近くの101号墳から出土した埴輪群が賑やかに迎えてくれる。
2階の回廊から見た展示風景。古墳関連がとても充実している。
写真中央は瓢塚40号古墳(既に消滅)の石棺の実物。筑波地域の雲母片岩は1枚300kgになるそうだ。
その左上は、山田寺の仏頭のレプリカ(国宝「銅造仏頭」白鳳時代、興福寺蔵)
仏頭は、昨秋(2013年秋)に上野の芸大美術館「国宝 興福寺 仏頭展」で実物を拝見した。
http://butto.exhn.jp/highlight/index.html
こちらのものも、実物と同じサイズ(100cm)で精巧に復元されていて迫力があった。
屋外展示も充実。こちらは古墳時代の竪穴式住居。ボランティアの方に大き目の懐中電灯を貸していただいた。
入り口に相対する壁側にかまどがある。
もう一棟の竪穴式住居は、弥生時代の復元で中心に炉がある。
炉のそばの丸太椅子に座って出入り口を見たところ。
やはり「ただいま」とか言って、帰って来たのか。
石棺は屋外展示でも2点あった。
瓢塚41号墳石室 館内にあった40号と同様、成田ニュータウン内にあった瓢塚古墳群48基のうちの1基。もとは17m×20mの方墳で、「骨になってからでないと入れないほど入口が小さいこと」が特徴。7世紀中頃の終末期の古墳で、中から鉄鏃や馬具の一部が出土。
成田ニュータウンの公津原古墳群へは直近(2ヶ月前)にも2回訪れた。
http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/04/21/232708
http://massneko.hatenablog.com/entry/2014/04/27/223348
龍角寺(竜角寺)古墳群第108号古墳石室
みそ岩屋古墳の東北にあった方墳で道路建設にともなって発掘調査された(調査後消滅)16m×16m、高さ1mで、幅2.5mの周溝から直刀1振り、石室付近から須恵器と鉄鏃の破片が発見されたそうだ。
2つの石棺は並べて展示されているが、よく似ている。公津原古墳群から龍角寺古墳群まで「印旛沼東岸古墳ベルト地帯」が連続していたということを表している?
資料館から、気になる「お知らせ」があった。
7月20日(日)13:30から「千葉ニュータウンの遺跡」という考古学講座が開かれるそうだ(先着60名)
http://www.chiba-muse.or.jp/MURA/event/20140720koukogakukouza2.html
資料館から外に出ると、正面から古墳広場が始まる。
目の前に前方後円墳(57号墳)全長48m 高さ6.3m。
57号墳の後円部下から前方部方向。
ここから先は、うねうねと古墳群が続いていて圧巻。2、30分歩けば龍角寺にも着く。
都心からも近い台地の上のこれだけの古墳群が、住宅地やゴルフ場、空港やバイパス道路などの開発の波を乗り越えて残ったことは奇跡的なのでは。
もともとこのエリアが、有力者を古墳に祀る時代から寺院を建立する時代への移り変わりの舞台であったこと、7世紀の伽藍跡がある龍角寺が関東屈指の古寺であり火災等で衰微の危機を経ながらも勢力を保ってきたことも大きな理由。
以下は龍角寺について(Wikipediaにより)
天平時代の干ばつで祈祷をしたら龍が現れ、村人のために雨を降らせたが、その龍は龍王の言い付けに逆らったことで三つに斬られて地に落ちた。角のある龍の頭を祀ったのが「龍角寺」、腹が龍腹寺(千葉県印西市→戦後、本堂は深川不動堂に移築)、尾が龍尾寺(千葉県匝瑳市大寺)だそうだ。
龍角寺では発掘調査によって金堂と塔の遺構が検出され、出土した瓦の様式編年から7世紀後半に伽藍が存在したことが明らかとなっている。
本尊の薬師如来坐像(頭部がオリジナル)は重要文化財で、深大寺の釈迦如来像とともに関東に残る白鳳仏の稀少な例(拝観には予約が必要)
http://www.kanko.chuo.chiba.jp/kanko/1252/
さきほどの資料館でレプリカ(頭部のみ)が見られる。
去年お寺を訪ねたときは、礎石群があることが印象的だった。
【再度リンク】
http://massneko.hatenablog.com/entry/2013/06/10/094156
今回も白鳳道(音だけだと会社名を想起させる?)を通ってみたかったが、そろそろ子供が帰りたがって来たので今回は省略。
資料館からすぐ、車道を隔てた場所にも、印旛沼を望む台地の縁に沿って古墳が点在する。繁った木々で印旛沼の展望は得られなかった。
つづく。