赤磐市立山陽郷土資料館にて山陽団地に30基の古墳が残っていることを知り、 現地へ、岩田14号墳を訪ねた。(復元墳丘で見学しやすそうだったので)
団地に着くと道路脇に車を停めて、郷土資料館で撮ったパネル写真とにらめっこ。
グーグルマップには山陽団地内での墳丘ポイントは記されていなかった。
古墳群が残る、昭和に造成された団地エリアは結構な高低差がある場合が多く、近くにありそうなのにたどり着くのに迷うケースが多々ある。ここもそのような感じだった。
市立山陽西小学校の南の枝道を入ってゆっくり進んでいると、住宅街の北縁にちょっとした土盛りが。
上がれそうな雰囲気。
道路の反対側は急斜面。造成で削られた様子。
振り返った先が前方後円墳(と感じた)
赤磐市立山陽郷土資料館にパネル解説がありました。
用木(ようぎ)6号墳
墳形:前方後円墳
時期:4世紀頃
所在地:山陽3丁目 山陽西幼稚園東
用木6号墳は墳頂37mの前方後円墳です。丘陵の中央部から丘陵尾根に沿って築かれた16基の用木古墳群の一つで同古墳群の中で唯一保存されました。
後円部墳頂には埋葬部跡らしき窪みが。
後円部から前方部を振り返って。
墳頂から北側の眺め。
用木6号墳の前から南に150m進むと、岩田14号墳が残る「愛宕山公園」があった。
地図のポイントは自分がグーグルマップに申請しました。
高くきれいに復元された岩田14号墳の墳丘。位置はオリジナル。
説明板も完備。
岩田14号墳 山陽3丁目
この古墳は6世紀の中頃に築造された円墳で、多くの労働力を集めることのできたこの地域の支配者の墳墓です。内部は巨大な石室で、全長11.8m、玄室の長さ5.5m、幅2.6m、高さ2.7mもあります。最大規模の石室を持ち、赤坂盆地領域を地盤とした首長の墓で、備前地域でも屈指の規模を誇っています。
昭和48年(1973)、山陽団地造成のための発掘調査が行われ、石室内から環頭大刀をはじめ金環・玉類などの装身具や武器・馬具そのほか須恵器・土師器など700点をこえる副葬品と多数の木棺の痕跡が発見されました。後期古墳の追葬過程を解明するうえでも重要な意味をもっています。
石室の天井石は古墳を保存するために復元したもので、この古墳の出土品は山陽町郷土資料館に展示されています。
平成15年3月 赤磐市教育委員会
石室の扉は閉まっているが、近寄れる。
格子の間から内部も見られる。 丸太の補強でびっくり。
フラッシュで。丸太で奥壁がみづらい。
失われていた天井石の替わりにコンクリ天井となっているが、側壁の巨石を押さえこめる重さが足りないのだろう。
こちらは、赤磐市立山陽郷土資料館にあった岩田14号墳のパネル解説。
岩田14号墳
墳形:円墳
時期:6世紀後半
所在地:山陽3丁目 愛宕山公園内
岩田14号墳は横穴式石室の天井石など一部の石材が持ち去られていましたが、豊富な考古資料の出土と7基の木棺の痕跡が認められ、被葬者の追葬過程を知る貴重な古墳として、発掘調査が行われた後に現状保存が行われました。
同資料館では、とても見事な副葬品の環頭大刀を見ることができた。
http://blog.hatena.ne.jp/massneko/massneko.hatenablog.com/edit?entry=26006613469512725
石室前から振り返ったところ。
公園の外を一回りしてみた。墳丘の東側。
北側から。
西側から。
そこから振り返った住宅街。