前回の第3古墳群を見た後は、男狭穂塚・女狭穂塚の北西側に立地する円墳2基へ車で向かった。
閉鎖中の考古博物館をぐるりと左回りに。
進んでいくとJAFの支援を受けている場面に。故障のようだった。
止まった位置から、ちょうど169号墳が良く見えた。
なんと石碑も。
背後の森が男狭穂塚・女狭穂塚で、このあたりが西都原古墳群のある舌状台地の北西端、尾根筋の根っこにあたる。
すぐに通れるようになって、そのすぐ南の170号墳へ。
道路沿いのスペースに解説板があった。
まずは169号墳のもの。
169号墳
大正元年(1912)の第1次発掘調査で、直刀・刀子・鉄鏃、小型珠文鏡などの副葬品や冑形埴輪、円筒埴輪が出土した。
平成10~15年(1998~2003)の発掘調査で、3段に築かれた墳丘や周溝の構造が判明し、葺石や円筒埴輪の基部が検出された。
となりに170号墳のもの。
170号墳
大正元年(1912)の第1次発掘調査で、直刀・三角板革綴短甲、鉄鏃や家形埴輪が出土している。
平成の発掘調査により、墳丘が3段に築かれていること、子持家形埴輪と船形埴輪が当時に帰属することがわかった。
169号墳・170号墳・171号墳は男狭穂塚・女狭穂塚の陪塚とされ、丸山支群と呼ばれている。
男狭穂塚・女狭穂塚と丸山支群
男狭穂塚・女狭穂塚という2基の巨大古墳と、その陪塚とされる2基の円墳(169号・170号)、1基の方墳(171号)を含むこの一群は、高取山からのびる丘陵地形を利用して築かれている。男狭穂塚・女狭穂塚は、宮崎県教育委員会が実施した地中レーダー探査により、その形状が明らかとなった。
男狭穂塚:墳丘の推定長約176m、列島最大の帆立貝形古墳
女狭穂塚:墳丘長約176m、九州最大の前方後円墳
171号墳のみ方墳。
170号墳の広い周溝。 草が刈られて歩きやすい(濡れていたが)
周囲には柵が張られている。
墳頂も広い。
西都原考古博物館のサイトによれば、170号墳は男狭穂塚または女狭穂塚の陪塚と推測される径約47mの円墳で、5世紀前半の築造。
墳頂平坦部外周にのみ円筒埴輪列があり、大正期の調査で墳頂平坦面から短甲・頸甲・肩甲・直刀・鉄鏃・切妻の家形埴輪等が出土。明確な埋葬施設が確認されず木棺直葬の可能性が高いとのこと。
平成の再調査で170号墳からの出土と確定した子持家形埴輪・船形埴輪(重要文化財)は、かつて169号墳出土と思われていたそうだ。
http://saito-muse.pref.miyazaki.jp/web/guidance.html
170号墳から北を望むと169号墳が(中央の木立の後ろ)
ズームで。こちらもきれいな形の円墳。
西側には女狭穂塚の木立。
東側の様子。
グーグルマップを見ると、169号墳との間に「カフェ&ギャラリー古代の風」の印があったので、細道を入ってみた。
ブルーベリー摘みの時期だけの営業のようでクローズしていたが、中にいた方に園内の169号墳の見学を聞くと許可いただけたので、車を置いて墳丘へ向かった。
http://www.kitenn.jp/inishienokaze/
斜面の菜の花が色鮮やかだった。
上がった先に169号墳。大きな円墳。
段築が美しい。
平らな墳頂。
前出の考古博物館のサイトには169号墳の解説や葺石をまとう調査時写真もあった。
169号墳も、男狭穂塚または女狭穂塚の陪塚と推測される円墳で、径約49m、5世紀前半の築造。170号墳と同様に大正期の調査では明確な埋葬施設は確認されず木棺直葬の可能性が高いそう。
テラス面や墳頂部平坦面の外周には円筒埴輪列が廻り、壺・家・蓋・盾・靱・甲・冑・船・高坏・器台等の器財埴輪も多数樹立していたと推定されるとのこと(墳頂平坦面から、珠文鏡1、直刀2、刀子2、鉄鏃2、銅釧1、竹製櫛、鉄鏃片が出土)
http://saito-muse.pref.miyazaki.jp/web/guidance.html
169号墳から見た170号墳。中央右の木の後ろ。
近寄っての170号墳。ブルーベリー農園側から。
170号墳から出土した船形埴輪は以前東博で見ていた。(現在休館中)
かなり精巧にできている。
神武東征の物語がリアルに感じられる。
重要文化財 埴輪 船
宮崎県西都市 西都原古墳群出土 古墳時代・5世紀
外洋を公開するための大型の準構造船がモデルとみられます。舷側板の上にはオールで漕ぐための軸受けが6個つきます。軸受けが傾く方向が船尾で、その反対側が船首です。こうした船の埴輪は古墳の被葬者が司っていた外洋への航海を象徴しているのでしょう。
子持家形埴輪も見た記憶があるが、撮ったはずの写真は見つからなかった。
以上で西都原古墳群シリーズ終了です。13回もかかってしまいましたが、見ていただいたみなさまにおかれましては、かなりの西都原ツウになられたのではないでしょうか。
ただ、考古博物館には行けなかったので、いつか再訪してレポートしたいと思います。
宮崎シリーズは、まだまだ続きます。