前回の姫塚古墳の100mほど南に、国指定史跡の姫小川古墳がある。
住宅の間の道を抜けると古墳がある境内地沿いに出た。
そこにあった説明板。墳丘長65mの前方後円墳。
国指定史跡 姫小川古墳
昭和2年10月26日指定
古墳時代前期(およそ4世紀)の前方後円墳です。墳丘長は65mほどあります。
浅間神社のある後円部は、非常に高く造られています。一方、碧海台地を利用した前方部は低く細長いのが特徴になります。後円部の北東側から南西側にかけて幅10m、深さ2mの周溝がめぐっていました。葺石は見つかっていません。
桜井町の二子古墳とともに桜井古墳群を構成するこの古墳は、三河における古墳時代の始まりを考える上でとても重要な史跡です。
安城市教育委員会
こちらは安城市歴史博物館のパネルにあった説明文。
姫小川古墳 国指定史跡 姫小川町
全長66m前後の前方後円墳です。前方部には周溝がめぐり、埴輪や葺石はありません。前方部があまり開かず、前方部と後円部との比高差が大きいことから、吉良八幡山古墳(西尾市)と並んで西三河で最古の前方後円墳と考えられます。台地下の姫下遺跡と密接に関わる古墳であると考えられます。
「桜井古墳群保存管理計画書」には、築造時期は4世紀中葉の古墳時代前期中葉とあった。後円部は径38m・高さ6~7m、前方部長27m、前方部前端幅 19m・高さ3~4m、、くびれ部幅15.5m。埋葬施設・出土遺物はともに不明。周溝と想定される溝の最下層から古墳時代前期の土師器が少量出土。刀剣類や土器片も出土したと伝わるが所在不明だそう。
https://www.city.anjo.aichi.jp/shisei/shisetsu/kyoikushisetsu/documents/siryouhen.pdf
前方部の先端らしき場所から時計回りに巡る。
鮮やかなモミジの下を抜けて参道へ。
参道から見た墳丘。拝殿が載る正面が後円部で右に前方部が連なる。
なかなか傾斜のきつい石段。右奥へ前方部。
石段脇の説明文は前方部側にあったものと同一だった。
墳頂には浅間神社。
上りきって振り返ったところ。
拝殿内には大勢人がいて儀式が行われていた。
拝殿に向かって左側。
向かって右側には境内社の祠があった。
祠の後ろから見た北東方向。
ズームすると新幹線の高架も写った。
後円部下を見下ろして。
こちらは前方部へ続く小道。
階段を下りた、くびれ部あたりから振り返って。後円部と前方部の比高差は3m程ある。
振り返っての前方部の形はあまり明瞭ではない。
前方部先端方向。小道はここで右へ曲る。
そこから振り返って。前方部から後方部になる。
前方部裾から。後方部から前方部にかけてのくびれが判るか・・・
参道に戻ってその端から。
参道を出た所から東側。