墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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野津古墳群(その4:端ノ城古墳) 熊本県八代郡氷川町

野津古墳群で最後に訪ねた端ノ城(はしのじょう)古墳は、中ノ城古墳の100mほど南西側、同じ尾根上を少し下がったところの立地。

 

中ノ城古墳の前方部先端側。

斜面が改変されているので、墳丘幅が広く見えているのだと思います。

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その先の椿の木々を抜けたところからの中ノ城古墳。

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そこから南側を見れば、端ノ城古墳。

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端ノ城古墳の裾にある説明板。

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八代平野を眼下にした氷川右岸の丘陵に4基の前方後円墳がある。北端の姫ノ城古墳は全長85mで幅14mの周溝をもっている。開墾で削平された部分から円筒埴輪や須恵器、サシバ、キヌガサなどの石製品が出土している。南端にある端ノ城古墳は全長66m、墳丘全体が公園化されている。周溝と思われるところから円筒埴輪が出土している。西側にある物見櫓古墳は前方部が低く幅が狭い前方後円墳で全長72m、周溝はない。
この他に中の城古墳(未指定)がある。全長98mで八代地方最大の前方後円墳であり、人物埴輪が出土している。
これらの古墳はいずれも6世紀頃のものと推定されており、この地域に勢力をもった火の君一族の墓とみられる。
熊本県指定史跡
野津古墳群 姫ノ城古墳、端ノ城古墳、物見櫓古墳
昭和47年4月26日指定 熊本県教育委員会(平成4年3月建)

 

「九州の古墳」(吉村靖徳著・122頁)によれば、端ノ城古墳は墳丘長67mの前方後円墳で、6世紀中頃から後半の築。周溝、埴輪列があり、斜面だけでなくテラス部分も覆う葺石があったようです。埋葬施設は不明ですが後円部中央に6.5m四方の河原石敷の遺構あり。円筒埴輪、朝顔形埴輪、人物・馬形埴輪・鶏形埴輪などの形象埴輪(一部にはS字状半裁竹管文)や、ガラス製丸玉が出土とのこと。

 

文化遺産オンラインの記載と合わせて、再度野津古墳群の築造順と大きさの変遷を見ると、物見櫓古墳(62m・6世紀初頭)→ 姫ノ城古墳(86m・6世紀初頭~前半)→ 中ノ城古墳(102m・6世紀中頃)、端ノ城古墳(67m・6世紀中頃~後半)となります。

野津古墳群 文化遺産オンライン

 

裾から見上げる後円部。それほど高さを感じません。

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墳頂に上がって振り返って。

 

鞍部あたりから後円部を。

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振り返っての前方部側(だと思います)

 

縦位置で。

 

一本だけ良く色づいていた紅葉。(この左奥に道路が見えるので、こちらが前方部だと思います)

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前方部の裾に石の標柱がありました。

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そこから見上げた前方部。すべての樹木に番号が振られていました。

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前方部右裾側から。右奥が後円部。

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2021年11月訪問