石州府古墳群の次は国史跡の向山(むこうやま)古墳群(伯耆古代の丘公園)へ。
大山から北西側に伸びてきた裾の先、出島のような独立丘陵に古墳群が築かれています。
駐車場の説明板を見ると見どころが沢山。
向山古墳群の説明板。
国指定史跡 向山(むこうやま)古墳群
指定年月日:昭和7年7月23日、追加指定 平成11年7月13日
淀江平野の南東部の独立丘陵を中心に築造された16基の古墳群であり、5世紀後葉から6世紀後葉にかけて順次築造された。
このうち向山3号墳、同4号墳、石馬谷古墳、岩屋古墳はそれぞれの時期における西伯耆の代表的な前方後円墳で、当地域の首長墓系譜を辿ることができる。
また、石馬谷古墳出土と伝わる石馬(国指定重要文化財)からは北部九州との、岩屋古墳の石室構造からは出雲地方との共通点が見出される。このことから、当古墳群を形成した政治勢力が、北部九州、出雲地方と深く結びつきつつ、勢力を伸長していった過程がうかがえる。
この地域の古墳時代の政治的動向や交流の実態を明らかにする上で、高い学術的価値を有することから、昭和7年に岩屋古墳が国史跡に指定され、平成11年に「史跡向山古墳群」として追加指定を受けている。
平成27年3月 鳥取県教育委員会
その周辺図部分。
今、見ていて、右の方の天神垣古墳の麓に「石馬収蔵庫」があることに気づきました…
駐車場からは階段で丘の上へ。
分かれ道を右へ行って、向山7号墳の表示のとおり進んで、右に少し登ります。
7号墳と3号墳の説明板。
向山3号墳
全長39m、後円部径23.5m・高さ3m、前方部幅16.7mを測る中規模の前方後円墳です。
須恵器、円筒埴輪、形象埴輪(盾)などが出土し、向山古墳群の中で最も古い5世紀後葉に造られたものと考えられます。
向山7号墳
円墳または方墳で、長さ20m・高さ4.5mを測ります。須恵器、円筒埴輪などが出土し、6世紀前葉に造られたものと考えられます。
また中・近世には墳丘を拡張し石列を巡らすなど、墓地として利用されていました。
こちらが7号墳。
振り返って3号墳。前方後円墳の前方部端。
その北側に6号墳と2号墳。
向山2号墳
後世の改変によってくびれ部付近が破壊をうけていますが、復元すると全長16m、後円部径14.5m・高さ1.8mを測る小規模な前方後円墳です。
須恵器、円筒埴輪などが出土し、6世紀中頃~後葉に造られたものと考えられます。向山6号墳
全長40m、後円部径18m・高さ2mを測る中規模の前方後円墳です。
須恵器、円筒埴輪などが出土し、6世紀中頃に造られたものと考えられます。
どちらも前方後円墳とのことですが、その形は認識できませんでした。
こちらが2号墳。
6号墳は…
ここを上がりました。
おそらく6号墳の墳頂。
6号墳から見た3号墳方向。目の前の丘が墳丘かどうかは不明です。
6号墳から北東方向。北尾の集落だと思います。
もとの散策路に戻ってさらに北へ。
説明板は向山8号墳。
向山8号墳
一辺26m、後円部径18m・高さ2.8mを測る方墳で、周溝が確認されています。
須恵器、円筒埴輪、形象埴輪などが出土し、6世紀中頃に造られたものと考えられます。
こちらは方墳の形が残っているようです。
左が8号墳。
右奥に見えているのが1号墳の岩屋古墳でした(次回へ)