墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

権現山古墳 茨城県小美玉市下玉里

全長が約90mもある権現山古墳は、前回の舟塚古墳から800mほど南、霞ヶ浦に近い台地縁に立地していた。 

 

途中、道沿いに赤レンガの門柱があったので写真に収めた。 

 

旧新治郡田余(たまり)尋常高等小学校校門だそうで、平成14年になってこの地に移設されている。

 

柱中央列の煉瓦の色合いや柱頭の装飾、側壁上縁のカーブなど、なかなか凝ったつくり。

 

その後ろには江戸中期(18世紀後葉)の農家が移築されていた。

小美玉市指定有形文化財(建造物)建第六号の旧小松家住宅。

 

土間と馬家の二ヶ所で「曲り」を持つ「曲り家」とのこと。

 

この日は閉館日。

 

丁寧な仕上げの茅葺屋根。

 

正面から。こちら側は広い駐車場だったが、この日はクローズ。

 

煉瓦門脇から霞ヶ浦への下り坂。

 

グーグルマップに従って坂下を左折すると、すぐ先の左側にガードで塞がれた登り坂があった。

 

ガードの前に車を停め、坂を上がって振り返ると、人工的な土盛りがあった。

 

長方形の平面に、墳丘のように積まれた土。残土の保管場所でしょうか。

 

その背面に、本物の墳丘が残っていた。

 

説明板あり。

権現山古墳
権現山古墳は、霞ヶ浦を臨む台地上に築造された小美玉市で最大規模の前方後円墳です。墳丘長89.5mを測り、墳丘西側のくびれ部に台形状の造り出しが付設され、墳丘周辺には盾形の周溝がめぐっています。
平成8年(1996)、埋葬施設、埴輪列、造り出し部、周溝の確認を目的とした発掘調査が実施されました。
埋葬施設の調査では、後円部墳頂と前方部墳頂が大規模に削平されていることが確認されました。後円部での埋葬施設の痕跡は、石棺材に採用された雲母片岩(筑波石)と鉄鏃の破片のみですが、箱式石棺が存在したと推定されています。前方部は、木棺直葬で副葬品である大刀一口と鉄鏃30本が出土しました。
明確な円筒埴輪列は検出されませんでしたが、円筒埴輪は3条4段、朝顔形円筒埴輪が6条7段であることが分かりました。円筒埴輪の中には、器面に波状文があるものも確認されています。
造り出し部には大量の円筒埴輪、馬形埴輪、短甲形埴輪、人物埴輪などの形象埴輪が集中して配置されていました。また、祭祀に使用した土師器(壺、甕、坏)のほか、須恵器の筒型器台・直口壺が出土しています。
築造時期は、出土遺物などから、古墳時代後期初頭(5世紀末葉~6世紀初頭)とされ、水上交通などを背景にした有力首長層の墳墓であると思われます。
平成30年3月 小美玉市教育委員会

 

墳丘は雄大だった。左が後円部、右が前方部。 

 

鞍部へ上がって後円部側を。

 

後円部墳頂。小さな祠があった。

 

後円部先端側を見下ろして。

 

後円部から前方部方向。

 

周溝も広く残っている。

 

前方部へ渡って、そこから振り返った後円部。

 

前方部を先端裾から見上げて。

 

周溝端に置かれた「測量図」には3つの陪塚も記されていた(緑の部分)

権現山古墳測量図
墳形:前方後円墳(造り出し部付設)
墳丘規模:墳丘長89.5m、後円部径44.7m、後円部高9.7m(残存)、前方部前端幅59.4m、前方部高8.7m
埋葬施設:前方部・木棺直葬、後円部・箱式石棺
出土遺物:前方部主体部~大刀、鉄鏃 造り出し部・墳丘~土師器(壺・甕・坏)、須恵器(筒形器台・直口壺)、円筒埴輪(3条4段)、朝顔形円筒埴輪(6条7段)、形象埴輪(人物・馬形・短甲形)

 

測量図のすぐ脇の1基。 

 

前方部右裾側の1基か?

 

その前の前方部右裾から。右奥が後円部。

 

裾から見た鞍部。

 

後円部側の陪塚は、落ちた枝でよくわからなかった。

 

後円部の先端側。

 

後円部裾から。右奥へ前方部。

 

前方部左裾から。左奥へ後円部。

大きな墳丘をたっぷり味わうことができた。 

 

墳丘の前の路を西側へ進んでいくと、さきほどの煉瓦門の広場に出た。

権現山古墳見学の際は、通常はこちらに車を停めるのが正解のようだ。

 

上記の左の竹林に気になる盛り上がりが。

 

斜面の崩れ目あたりに目を凝らしてみたが、落ち葉以外は見えなかった。

 

いばらきデジタルマップで確認すると、 「権現平古墳群」との表示があり、前方後円墳1・円墳6・方形周溝墓2・H3.8発掘調査(一部湮滅)との記載があった。