墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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柄山古墳 岐阜県各務原市那加柄山町

岐阜県の濃尾平野北縁には標高100~300mほどの小山が群島のように展開していることを今回初めて巡ってよく認識しました。古代の人々が好みそうな地形だなと実感も。

その小山の一つの尾崎権現山の西麓に、全長82mの柄山(からやま)古墳が残っています。(東麓には現代の斎場・墓地、瞑想の森)

 

南西の前方部先端側に石段が。

 

古墳時代前期の前方後円墳。

柄山(からやま)古墳
各務原市那加柄山町154
県指定史跡
柄山古墳は、独立丘陵柄山の山頂に築かれた前方後円墳です。今からおよそ1600年前(4世紀後半から5世紀初頭)の、古墳時代前期に造られました。
柄山古墳の規模は、全長が約82m。後円部の直径が約54m、高さが約8.4m。前方部の最大幅が約38m、高さが約4.9mを測り、後円部に比べて前方部が小規模という、初期の前方後円墳に見られる特徴を残しています。
墳丘のつくりは、前方部は二段、後円部は三段に築造されており、古墳の側面をおおう葺石や、埴輪の存在が確認されています。特に埴輪については、高さ11.6㎝の、鶏を模した形象埴輪の東部が出土しています。なお、古墳の主体部(遺体が埋葬された場所)については不明です。
柄山古墳の周辺には、ここから西方約800mのところに、同じく前方後円墳で全長約115mの琴塚古墳があります。また、すでに消滅していますが、ここから西方約400mのところにも、前方後円墳で全長約85mの南塚古墳がありました。このことから、この地域には古墳時代の前期に、こうした大きな古墳を築造した有力な豪族が存在していたことがうかがえます。
各務原市教育委員会
寄贈:各務原飛鳥ライオンズクラブ

 

解説には独立丘陵の柄山の山頂とありますが、それほど高さはなく、どこからが墳丘かがわからなかったです。

 

石段の先、土の道になってから振り返って。


このあたりが前方部墳頂でしょうか。

 

その先、後円部方向。

 

鞍部のあたりから後円部を。

 

後円部墳頂は木の枝が錯綜。

 

少し見えた北西方向。

 

後円部縁から前方部方向。

 

斜面から、チラリ。

 

奥が前方部。

倒れた木で、どっちを向いて撮ったかがわかりました。

各務原市のサイトでは、出土した埴輪(鶏の頭部分)の画像が見られます。

柄山古墳|各務原市公式ウェブサイト