墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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戸山原古墳1号墳(外観) 福岡県田川郡川崎町安眞木

王塚古墳の石室を見学した後は、同時期に一斉公開されていた遠賀川流域の古墳をいくつか巡りました。

まずはエリアの東端、15㎞先の戸山原(とやんばる)古墳へ。

 

近くまで来ると、下真崎公民館前の交差点に会場を示す看板が。

 

その先で枝道に入る2カ所にも看板があり、それに従って最後はすれ違いが難しい細道を進んでいると、白い軽自動車3台とすれ違いました。

そのすぐ先の現地へ着くと…

 

ああ無情。

 

午後1時20分ごろでしたが雨足が強くなっていました。案内には「小雨決行・大雨中止」とあるので、大雨と判断された直後だったのでしょう。

令和6年度春季遠賀川流域古墳・遺跡同時公開 戸山原古墳まつりの開催について | ReBorn!KAWASAKIMACHI:福岡県田川郡川崎町

 

誰もいなくなった墳丘。

山の中の雰囲気でしたが、地図を見ると左(北)側の林の先は崖になっていて木々が無ければ中元寺川が流れる平野が見渡せるのかも知れません。

 

戸山原(とやんばる)古墳1号墳の説明板。

川崎町指定文化財第1号
史跡 戸山原古墳1号墳
所在地 福岡県田川郡川崎町大字安真木4974番
指定年月日 平成13年5月16日
■古墳の概要
この古墳は、7世紀ごろに築造されたと推測される横穴式石室を有する円墳です。中には巨大な花崗岩で構成された玄室と前室の2部屋があります。石室内に2つの部屋を持つのは、田川地方では珍しいことです。
昭和30年代後半の土取中に石室が発見され古墳と認識されました。このため、昭和40年代に土取で壊された部分を修復しその後大切に保存されてきましたが、平成17年の福岡西方沖地震で石室の一部が崩壊してしまいましたので、平成21年度に崩壊前の姿に修復を実施しました。修復に伴い発掘調査を実施しましたが、山側に周溝を巡らせ、石室から直線的に伸びる墓道を持つことが新たに確認されました。

当古墳の大きさは次のとおりです。
<墳丘>
南北長15.0m 東西長15.0m 高さ4.7~1.9m
<石室>
全長5.3m 全幅2.4m(最大部) 高さ2.2m(最大部)

■古墳の由来
戸山原古墳1号墳が存在する台地は戸山原古墳群と呼ばれており、当古墳の他に同じような古墳や横穴墓がたくさん存在していたようです。現在は畑として開墾されているため丘陵上で墳丘を確認できる古墳はほとんど存在しませんが、丘陵脇の傾斜部には今でもたくさんの横穴墓が存在します。
平成9~10年度に実施された宮前遺跡群の発掘調査によって中元寺川流域に古墳と集落跡が確認されました。この成果に基づき当古墳は当時真崎地方を治めていた豪族の墓と考えられています。
しかし、一方で開口部が安宅の方面を向いており、古墳時代後の仏教文化が安宅につながることから、当時安宅にあった集落の豪族の墓とする説もあります。
町内で幾つか古墳は確認されていますが、これほど良好に残っている古墳はほかに無く、田川地域の古墳の成立と当時の歴史・文化を研究する上で考古学的に価値が高いと判断されるとともに、地元のシンボルとして大切にされている貴重な文化財です。
平成22年3月吉日 川崎町教育委員会

 

開口部へ近寄ります。


土嚢前の左に、多分さっきまで開いていた柵が。

 

フラッシュで中を。

 

奥壁の一枚岩、見事ですね。

 

開口部の背面側から。向こう(南)側も落ち込んで谷戸地形になっているようです。

 

細長い丘陵の尾根上に築かれているのですね。

東側から。

 

駐車場あり。

 

帰路には、途中の看板は撤収されていました。

再訪したいと思います。

2024年4月20日訪問。