墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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唐古・鍵遺跡 奈良県磯城郡田原本町唐古

今回からは最近訪ねた奈良。お寺巡りがメインのグループ旅行だったのですが、合間の時間に遺跡や博物館を訪ねました。

 

最初に向かったのは唐古・鍵(からこ かぎ)遺跡。国史跡となっている弥生時代の環濠集落跡。

纏向遺跡から北西4㎞程の奈良盆地中央に立地。

 

遺跡公園東側の駐車場から。田原本駅からカーシェアを利用。

 

振り返った東側には龍王山(中央やや右)

 

見どころが多いのですが、時間の関係で”楼閣建物”と遺跡展示館を中心に一回り。


遺跡公園の中央には江戸時代に掘られた、ため池(唐古池)が。ここが微高地であることの現れですね。

 

ため池の東側の、気持ちの良い草原。

 

池の周囲は桜並木になっています。

 

復元楼閣は池の南西端に。

 

ダリの髭のような、特徴のある装飾。

 

実際に出土した土器から再現されています。

実物は、唐古・鍵考古学ミュージアムでにて展示。

 

このあたりからは、弥生時代後期(1世紀頃)の吉備の土器(円筒状器台)が出土。


楼閣建物から西側にも広場があります。遠くには二上山(右奥)や葛城山・金剛山が。

 

戦時中には海軍柳本飛行場防衛のための高角砲も置かれたそうです。

 

広場の一画には、大きな柱が復元されています。

 

その柱列と、楼閣建物を。

 

公園の北西隅には、遺構展示情報館。

 

文部省の銘が入った石碑。

 

この橋の下が、大きな環濠になっています。

 

広いので清掃も大変です。

 

情報館の中には、さきほどの大型建物跡の柱穴が再現されていました。

実際に柱穴を形取りして実寸大に再現したもの。 柱穴は19か所で、建物は畳50畳分の広さになり弥生時代中期では最大級とのこと。

独立棟持柱が見られることから、切妻造の屋根を持つ高床建物だと考えられ、伊勢神宮などで見ることできる神明造という神社建築様式に似ていると言われているそうです。

公園マップ|唐古・鍵遺跡史跡公園 唐古・鍵遺跡史跡公園の公式ホームページです

 

情報館にあった解説パネル。

唐古・鍵遺跡
唐古・鍵遺跡は、奈良盆地の中央に位置する弥生時代の環濠集落跡です。遺跡面積は甲子園球場10個分(約42万㎡)もあり、近畿地方最大級の集落です。最盛期にはおよそ900人が住んでいたと推定されています。ムラの中には、祭殿を思わせるような畳50畳分の広さがある大規模な建物、お米を貯える高床倉庫、一般の人々が住んだ竪穴住居、井戸、石器や木製品、青銅器を作る工房などがありました。
また、ムラの周囲には幅8m、深さ2mもある巨大な内濠(環濠)が巡らされていました。この内濠の外側には、さらに5~8条の外濠があり、ムラは「とりで」のようになっていました。これらの環濠は、ムラを洪水や敵から守るために造られたもので、膨大な労力を費やして掘削し、維持されたました。このため、このムラは、弥生時代前期(紀元前6世紀)から後期(紀元3世紀)までの約700年の長期間、栄えることになったのです。

発掘された弥生時代のムラ
発掘調査は、120回以上の調査を行っています。公園の周囲にある水田から約50㎝掘り下げると、黒色粘土の弥生時代の地面が現れます。その地面では、弥生時代の人々が生活のために掘った柱穴や井戸、環濠などが、また、使っていた土器や道具なども捨てられた状態で見つかっています。このムラでは、鏃や剣などの石器、鍬や容器などの木製品、銅鐸などの青銅器が作られ、周辺のムラに配られ、この地に富が貯えられました。

 

幾重もの環濠に囲まれた復原図ですが、緑と水に囲まれて未来都市のようにも見えますね。EVとか走ってそうな。

 

楼閣を池の北側から。


池の東側を。連なる山々の右端は三輪山でしょうか。

 

東側エリアの環濠。

2024年5月中旬訪問