前回の資料館見学後は、目のまえの琵琶塚古墳へ。
雨が本降りになっていました。
前方部右裾側から。
左裾側に標柱と説明板があります。
史跡 琵琶塚古墳
琵琶塚古墳は県内最大の前方後円墳です。古墳の形状や出土した円筒埴輪などから、隣接する摩利支天塚古墳に次いで、6世紀の前半に築造されたものと考えられています。
墳丘は、自然地形の地ぶくれを利用して基壇を設け、さらに2段の土盛りをすることによって構築されています。また、墳丘のまわりには幅およそ20mの壮大な周溝が存在しており、調査の結果、東側と南側では二重にめぐらされていることがわかりました。
琵琶塚古墳をはじめとし、思川、姿川の川筋には、強大な首長が葬られたと思われる大形古墳が散在しています。この地域は、遠く大和朝廷の時代に、下毛野国を代表する首長達の活躍の舞台となったことがうかがわれます。
墳形:前方後円墳 全長約123m
前方部:幅約70m 高さ約9m
後円部:直径約75m 高さ約11m
大正15年2月24日 国指定
栃木県教育委員会
前方部先端側の階段を登ります。
前方部から後円部を。
9年前は木が鬱蒼としていました。
後円部墳頂の祠。
そこから前方部を振り返って。中央奥、道路の先の木立が摩利支天塚古墳。
後円部から望む資料館。
こちらは摩利支天塚古墳。左が後円部、右が前方部。
前方部左裾側から。
前方部先端側の広場(周溝)は花盛り。
花の下の説明板。
史跡 摩利支天塚古墳
摩利支天塚古墳は、隣接する琵琶塚古墳とともに県内で最大の規模を誇る大形の前方後円墳です。後円部の墳頂には後年になって摩利支天社が祀られ、今に至っています。
墳丘は自然の微高地を利用して築かれたもので、その周囲には幅20mを超える大規模な周溝がめぐらされています。この周溝は調査の結果、部分的に二重になっていることがわかりました。
また墳頂には、円筒埴輪が列を成して存在していました。これらの埴輪や古墳の形状などから、この古墳の築造年代は、5世紀末から6世紀初頭と推定されます。
このような巨大な古墳の被葬者は、大和王権による支配体制の中で、下毛野国をはじめて統括した大首長であったとも考えられています。
墳形:前方後円墳 全長約117m
前方部:幅約75m 高さ約7m
後円部:直径約70m 高さ約10m
昭和53年7月21日 国指定
栃木県教育委員会
雨中の花見。
前方部先端側の階段。
登った先の前方部墳頂の鳥居と石灯篭。摩利支天への参拝路。
前方部から後円部を。
くびれ部から後円部を。
お社の前から振り返って。後円部と前方部での比高差が大きいです。
後円部先端から北、琵琶塚古墳を(中央の木の後ろ)
後円部東裾は菜の花がきれいでした。
前方部右裾側から見る摩利支天塚古墳。右奥が後円部。