墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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坊の塚古墳 岐阜県各務原市鵜沼羽場町

衣装塚古墳から350mほど南西、鵜沼宿街道(旧中山道)の南側に、岐阜県第2位の規模の前方後円墳、坊の塚古墳があります。

グーグルアースでも鍵穴形が明瞭に。

 

周囲は細道で車を停める場所はありません。説明板の前は多分私有地。

 

全長約120m、古墳時代中期の築造。

平成27年に後円部斜面で発掘調査がなされ、葺石や埴輪片、そして盗掘の際に外され滑り落ちた竪穴式石室の天井石が見つかったそうです。

岐阜県指定史跡 坊の塚古墳
各務原市最大の前方後円墳
坊の塚古墳は、4世紀末~5世紀(古墳時代中期)に築造されたと考えられる、各務原市で最大、岐阜県下でも第2位の規模を持つ前方後円墳です。
墳丘の全長は約120m、竪穴式石室を備える後円部の直径は約72m、前方部の最大幅は約66m、周囲には幅約16~24mの周壕を有すると推定され、詳細は不明ながらも、その姿が今日まで良好に残されています。
平成26年、坊の塚古墳の土地が市に寄贈されたことを契機に、その保存を目的とした発掘調査が計画されました。
平成27年の発掘調査より
平成27年秋、後円部北側の墳頂から麓までの約40㎡で初の発掘調査が行われました。調査の結果、墳丘斜面の葺石が良好に残されており、途中には葺石の途切れる平坦面があることが分かりました。また、出土した埴輪片の一部には赤く塗られていたものが含まれていました。
そして、墳丘斜面の途中には、盗掘の際に外され滑り落ちた竪穴式石室の天井石(長さ2.85m×幅1.38m×暑さ17.3㎝)が石室を形成する細かい部材とともに見つかり、埋葬施設の様子を推定する手掛かりが確認されました。
各務原市教育委員会

 

後円部斜面を見上げて。ブルーシートの部分が発掘調査された部分でしょう。

 

説明板から右に回ります。飛び出し坊やに遭遇。

 

後円部裾から、前方部裾へと道が続きます。

 

この後円部斜面に登り路がありました。

 

くびれ部のあたりのブルーシート。

 

登り路から、ブルーシートと前方部裾の道路。


鞍部に上がって墳丘尾根から前方部方向を。大きさを感じます。

 

振り返って見上げる後円部。

 

後円部墳頂にも調査の跡が残っていました。


竪穴式石室のように組まれた平石も!

 

ぺんさんが訪問した3年前から残ったままですね。ブルーシートの外で後円部墳頂の縁にあるので、自分も現地説明会での解説用のように感じました。

坊の塚古墳【岐阜県各務原市】 - ぺんの古墳探訪記

 

後円部墳頂から先端(北西)方向の眺め。中央奥、お寺の屋根の奥の木立は衣装塚古墳ではないでしょうか。

 

前方部へ移動して振り返った後円部。


前方部の先端近くまで進んで振り返った前方部。

 

来た道を戻って、裾を一回り。くびれ部、良いですね。

 

前方部左裾までから。

 

同じ位置から前方部先端側を。

道路は少し左に曲がっていますが、元は右の家の方まで墳丘裾が延びていたようです。

 

前方部右裾へ行くと、高い位置に説明板が。

 

道路からはズームしないと読めません。

岐阜県指定史跡 坊の塚古墳
坊の塚古墳は、4世紀末~5世紀(古墳時代中期)に築造されたと考えられ、各務原市内で最大の規模を誇る墳頂約120mの前方後円墳です。また、周辺の衣装塚古墳(前方後方墳 現存)、三角縁神獣鏡が出土した一輪山古墳(円墳 滅失)などともに各務原台地東部に古墳時代前・中期の大型古墳が集中する古墳群を形成しています。中でも坊の塚古墳は、台地の縁辺部に立地することから、築造された時代には、台地の下からその葺石で覆われた威容を仰ぎ見ることができたでしょう。
一方、各務原市北西部~岐阜市にかけては、柄山古墳(前方後円墳 現存)、琴塚古墳(前方後円墳 現存)などの大型古墳が立地しています。各務原の東西に点在するこうした古墳群からは、坊の塚古墳が造られる以前からこの地域に有力な豪族が存在しており、前方後円墳の築造などを通じて、この地域が大和政権の連合下に組み込まれていったことが推測されています。
平成28年3月 各務原市教育委員会

 

墳丘の右裾は「歩道」でした。周溝だった右手は畑で、畑仕事されている方々がおられました。

 

後円部の周りを。


元の位置へ。


発掘調査については、各務原市のサイトに画像付きで解説が。

坊の塚古墳発掘調査|各務原市公式ウェブサイト

 

検索していると「各務原市鵜沼に築造された坊の塚古墳の設計について」という資料に行き当りました。

https://jgs-chubu.org/wp-content/uploads/pdfupload/download/syn5/pdf/24/s2420.pdf

「版下の作成例」として掲示されているようですが、周囲の地形や残った墳丘の傾斜からの復元モデルの盛土の量と、周溝で削った土の量がほぼ同じという計算結果が書かれており、非常に興味深く読ませていただきました。