墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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峯ヶ塚古墳 大阪府羽曳野市軽里

前回の白髪山古墳(清寧天皇陵)の拝所前の道を400mほど北へ歩くと、峯ヶ塚古墳の後円部裾に出ました。

 

道路脇の土盛りに速足で登りました。

 

そこは、”現代の”内濠の堤でした。右が峯ヶ塚古墳で奥が前方部。

 

前方部側から、右奥へ後円部。

 

前方部右裾の角です。


前方部左裾を引いた位置から。

 

そこに小さな解説板。かつてはここが内濠の隅だったようです。

史跡 古市古墳群
峯ヶ塚古墳
峯ヶ塚古墳は、一般の立ち入りが規制されている陵墓の多い古市古墳群にあって、古墳を間近に見ることができる数少ない前方後円墳の一つです。古墳の構造や当時の社会などを理解する上で欠かせないことから、昭和49年に国の史跡に指定されました。羽曳野市ではこの古墳を復元整備するために継続した発掘調査を行った結果、築かれた当時の古墳の様子が少しずつわかってきました。
古墳の中心である墳丘は、現在見られるより一回り大きく96mの長さがあります。後円部墳頂では埋葬主体である石室が見つかりました。石室は既に大きな盗掘を受けていましたが、被葬者の身分をしめす装飾品を付けた大刀をはじめ、武器・武具や馬具、ガラス玉、銀製や石製のアクセサリーなどの副葬品が3500点以上も見つかりました。
墳丘の周囲には内濠と内堤を巡らせます。さらに外側には、南側以外の三方に二重目の濠が巡ることが確認され、古墳本来の墓域が広くなることも判明しました。
なお、公園内の古墳部分については土を盛って保護するとともに、内堤と外濠の位置がわかるようにブロックの色(茶色:内堤、水色:外濠)を変えて表示しています。

 

実測図部分のアップ。

 

出土した副葬品のひとつ、魚佩(ぎょはい)は羽曳野市文化財展示室で見ました。

https://massneko.hatenablog.com/entry/2022/07/27/000000


墳丘左(北)側面は広場状になっていますが、ロープが張られ入れません。

 

前方部墳丘を北側から。

 

墳丘を北側から。右が後円部、左が前方部です。

 

公園西側の丘に登ると、墳丘を前方部側から一望できます。

 

公園の北側には公衆トイレもあり。その近くには新しい解説板も。

史跡 古市古墳群
史跡 峯ヶ塚古墳
峯ヶ塚古墳は古市古墳群の南西部にある、5世紀末頃に築造された全長96mの前方後円墳です。付近には仁賢天皇陵古墳や清寧天皇陵古墳など、古市古墳群の形成の後半期に築造された前方後円墳が存在します。
墳丘は西側の丘陵の麓に形成された扇状地状の微高地を利用して造られ、周囲には内濠と堤を巡らせ、南を除く三方には外濠を掘っています。内濠は後円部の北側で幅11m、深さ2m、外濠は幅7.2~9.2m、深さ0.8~2.1mです。堤の幅は18mで、南側の堤では、土の塊を用いた丁寧な盛土が施されていることが明らかになっています。
5世紀後葉以降、全長200mを超える巨大な前方後円墳の築造はきわめて限られ、有力者の前方後円墳であっても全長100~150m程度の規模にとどまります。大型の前方後円墳とは言えないものの、内濠、堤、外濠などの外周施設を整えたこの古墳に葬られた人物は、最有力者に次ぐ重要な立場にあったと考えられます。
羽曳野市

 

その隣には峰塚公園のマップ。右下には「小口山古墳」も記されていました。


公園管理棟(時とみどりの交流館)にて、解説ビデオを拝見しました。