前回に続いての持田古墳群。
34号墳から再び古墳が集中する”畑エリア”に戻って、目に入った前方後円墳は14号墳。

畦道から墳丘へ近づく。菜の花の先の前方部端に縄囲いが。

中央に穴が。

ズームしましたがピントがずれました。石室開口部でしょうか。

前方部墳頂に立つ大木。

前方部に上がらせていただいて後円部方向を。

後円部の先には15号墳(石舟塚)が。前方部をこちらに向けて。

そこから振り返った14号墳、前方部方向。
目の前の15号墳への道は無かったので、元来た道から大回りで向かう。途中の道路から見た15号墳の側面。左が前方部、右が後円部。

後円部の先端側の道路脇に看板があった。

国指定史跡 持田古墳群
第15号墳(石舟塚:いしふねづか)入口
第15号墳(石舟塚)は、墳長46mの前方後円墳です。後円部の墳頂には、阿蘇溶結凝灰岩でできた舟形石棺があります。
(後略)
高鍋町教育委員会
看板脇から見る15号墳(の後円部)

15号墳は大木が後円部墳頂にある。

後円部墳頂に上がらせていただいて前方部方向を。

看板に書かれていた石棺を探したが見当たらなかった。
前方部へ移って後円部を。

前方部右裾から後円部方向を。

右側面のくびれのライン。

前方部から振り返った14号墳。

看板の場所まで戻り、反対側の北西方向を。奥に大きな墳丘が顔をのぞかせている。

1号墳(計塚:はかりづか)で、近づくと徐々にその巨大さがわかる。

前方部と後円部の接続部あたりを。

枝道を回り込んでいくと前方部先端に(左の白い杭)

そこから墳丘に上がらせていただいた。前方部上から後円部を。

墳長約120mで群中最大。宮崎県教育委員会のサイトには、「当時九州最大規模の盟主的な前方後円墳であったと推測されている」とも書かれている。
http://www.miyazaki-archive.jp/d-museum/mk-heritage/burialmounds/summary_mochida.html
上記にはこの1号墳からの出土とされる獣文縁獣帯鏡の写真も掲載されている。
くびれ部近くからの後円部。

広い後円部墳頂を。

「九州の古墳」の持田古墳群の項によれば、1号墳・計塚の埋葬施設は狭長な竪穴式石槨に納められた舟形木棺だったそうだ。築造時期は群中最古の48号墳に近い4世紀後半代と考えられ、同時期では宮崎市の生目2号墳を凌いで九州最大の規模になるとのこと。
後円部の先、北方向。

後円部から西方向の眺め。目の前の台地を越えた次の台地に西都原古墳群がある(西に12㎞程)

後円部墳頂から振り返った前方部。

前方部端から見えていた15号墳・石舟塚をズームで。

