墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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川南古墳群 50号墳・49号墳(川南茶畑古墳群) 宮崎県児湯郡川南町大字川南

前回の持田古墳群の見学後は、北西側に3km離れた川南古墳群を訪問しました。どちらも見学・訪問というより、”通りすがった”程度になりましたが…

 

小丸川支流の切原川を遡った場所。最初に、マップ上に「川南茶畑古墳群」と記されたポイントへ向かってみます。 

 

墳丘は道路からだと見えにくい。畑の際に上がると、なだらかな土盛りが目に入った。

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それも2基仲良く。

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左が川南古墳群50号墳、右が49号墳で、どちらも前方後円墳。 

 

切通しの車道から枝道を上がると、すぐ右手に50号墳。

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墳丘に上がらせていただいて前方部から後円部方向。 右前方に円墳(48号墳)も写っています。方向は南西向き。

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後円部から前方部を。墳頂は30~40mほどでしょうか。 

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50号墳の後円部から、49号墳の尻尾(前方部)を。 

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前方部裾から見る49号墳。 

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49号墳の前方部から後円部。 

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後円部へ移って振り返っての前方部。その後ろは50号墳の後円部。 

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後円部から南側。ここは標高80m。

茶畑のすぐ先が台地上段の端で、さらに標高60mの中段が続く。

この後向かう川南古墳群の主要部は、その中段面に展開していました。

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川南古墳群の南で台地が切れて、下辺に沿って切原川が流れる(そこは標高約10m)

川南町は切原川・小丸川の北側にあるが、町名は町の北端を流れる名貫川に由来するとのこと(Wikipediaより)

Wikipediaには川南町(川南原開拓地)が、青森県十和田市の三本木原開拓地、福島県矢吹町の矢吹ヶ原開拓地と並ぶ「日本三大開拓地」であることが書かれている。

町の中心を流れる平田川は地図で見ると中小河川のようだが、激しく蛇行していて興味深い。中心地域は「トロントロン」と呼ばれるが、由来には西南戦争の際に敗走する西郷隆盛の一行が、ぬかるんだ地面を「トロントロンとしている」と言ったとする説と、湧き水がの水音が「タランタラン(トロントロン)」と聞こえたとする説とがあるそうだ。