墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

本庄古墳群 35号墳・36号墳(千貫塚)・37号墳(上長塚)・45号墳・38号墳(剣塚)・42号墳(藤岡山東陵:遠景) 宮崎県東諸県郡国富町大字本庄

前回に続いての本庄古墳群。

ここでは密度の高い古墳群の中に中心市街が形成されており、街歩きと古墳巡りを同時に味わうことができました。

オリエンテーリングのように墳丘を探すのは、山林では大変で危険も伴いますが、街中では手軽で安全に”発見”を楽しめます。

本庄古墳群は横穴式石室は見られないので、”石室派”にとっては物足りない部分もあるかも知れませんが、”墳丘派”にとっては魅力あふれる旅先だと思います。

 

前回の34号墳のすぐ南側、国富町商工会の東側の小径(駐車場?)を入った先に、35・36号墳がありました。

 

入った先、右手に35号墳。

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水仙がきれいに咲いていました。

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 突き当りには36号墳。

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現地では円墳と思いこんでいたが、下記のOBITOさんのサイトによれば、この36号墳・千貫塚は前方部が失われた前方後円墳。残っている後円部は径20mとのこと。

http://obito1.web.fc2.com/kunitominisi.html

 

墳頂に上がらせていただくと、大正14年12月に立てられた碑が。

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墳頂から南側の眺め。600mほど先を本庄川が流れる。 

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右に振って上流方向。 

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さらに右、西を向くと37号墳・上長塚の後円部がこちらを向く。

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北東側を向くと、31号墳・京塚の斜面も見えた。

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墳丘を降りて一旦旧道に戻り、上記で見えていた37号墳へ向かう。

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こちらは前方部端(左裾)

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説明板には、上長(かみなが)塚←髪長媛(仁徳天皇妃)との説が紹介されていた。

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本庄古墳群 37号墳・上長塚
全長約73m、高さ約7mの前方後円墳です。
古墳時代中期の5世紀中頃に築造されたと考えられています。
仁徳天皇の妃・髪長媛に関係する古墳ではないかと地元の郷土史家は考えています。
(髪長媛はとってもきれいな女性だったらしいよ!)

 

鞍部から前方部を見ると祠があった。 

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前方部の先の西側景色。

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祠の前から後円部方向。

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鞍部から後円部を。 石碑は戦役記念碑。

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後円部上から南側の眺め。

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後円部から前方部側。全長は73mある。 

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旧道へ戻って先(西)へ進むと、左の民家の敷地に45号墳(地下式横穴墓)の説明板があった(ズームで)

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本庄古墳群 45号墳
国指定本庄古墳群の中で唯一の地下式横穴墓です。大正時代に発見されました。
玄室には二人が葬られていた他、鉄製の刀や矢じりなどの副葬品が見つかったそうです。この地下式横穴墓の真上には現在祠(社)が建っています。
(地下式横穴墓や南九州でしか見られない珍しい古墳時代のお墓なんだよ!)

 

そのあたりの旧道から西側を。右は38号墳の上に立つ剣柄稲荷神社の境内林。

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振り返っての旧道風景。東端の8号墳・大将軍塚はこの先1㎞ほど。

魅力的な街には、必ず和菓子屋さんがあるように思います。 

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坂にも惹かれます。

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坂を降り登りする時間は無かったので、すぐ先の38号墳・剣塚へ。

後円部に社殿が載る。

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西側に前方部。 

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道路沿いにあった案内板には、本庄古墳群の被葬者の名も!

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国富町には古墳時代の豪族・諸県君(もろかたのきみ)のものと思われる本庄古墳群があります。古代になると宇佐八幡宮の荘園ができ、中世には日向の支配者・伊東氏の一族に治められました。江戸時代には本庄は天領(幕府領)となっています。このような歴史の名残りは各地に文化財として残されています。 

 

別の説明板には他の伝説も記されていた。

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本庄剣柄(ほんじょうけんのつか)稲荷神社
剣柄稲荷神社は国指定本庄古墳群第38号墳、通称剣の塚の上に奉鎮されています。
この塚には神武天皇の兄彦稲飯命の陵墓、景行天皇の妃御刀姫の陵墓、大和武命が熊襲武を刺された短刀の埋蔵塚など、さまざまな伝説が残っていて、その歴史の古さがしのばれます。
例祭は旧暦の2月初午、八月の第一土曜・日曜に行われ、特に八月の夏祭では、ヨイマカ太鼓が繰り出し、六日町には歌舞伎見立人形も立てられにぎわいます。
国富町教育委員会

 

境内に入って後円部裾を見上げる。

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墳頂に巨木が。

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石段を上がって振り返る。

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拝殿で参拝して、右へ回り込むと巨木に対面。樹齢は千年とも。

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町指定天然記念物 稲荷のクスノキ
本庄古墳群第38号墳の上にそびえ立つこの木は、推定樹齢は七百年から千年になるとも言われており、また生育状態も良好で、天然木としての姿をよく維持している点では県内有数のクスノキといえます。
幹周は8.1m、樹高は約30mに達し、宮崎県内のクスノキでは11番目に大きい木です。
国富町教育委員会

 

「たくましい男の人(坊主頭)が、うつ伏せをした形によく似たものがあり、頭をなでて不老長寿を祈りましょう 」とあったが、見分けられなかった。

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また幹の穴に、投げ入れた五円玉が入ると金運・幸運に恵まれるとあったが、かなり難しそうだったので遠慮した。 

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墳丘の北側へ降りて振り返る。

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パノラマで。左が後円部、右が前方部。

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バス通り側から見た38号墳・剣塚。

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バス通りの向かい側(北側)に駐車場完備の国富町運動公園がある。案内図の左上に「国指定本庄42号墳(藤岡山東陵・町内最大の前方後円墳)」との表示が。

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門の閉ざされた慰霊塔が墳丘の一部と思い、ここで戻ってしまった。 

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振り返っての運動場。

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公園の西側に道路からアプローチしようとしたが行き止まり。

古墳の名も藤岡山東「陵」とあったので入れないのだろうと諦めましたが、実は運動公園から入れるルートがあったようです。

こちらの「じこま」さんのサイト「古墳探訪 大型古墳集成」に墳頂の様子が掲載されています。

https://kofun.dosugoi.net/e1032284.html

 

どこかに遠景が写り込んでいなかったかと探すと、26号墳・てんの塚の墳頂で撮った一枚に、42号墳があると思われる木立の丘が(右上)

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下記の国富町のサイトによれば、藤岡山東陵古墳は玉依姫陵墓の伝説があるそうだ。

また、本庄古墳群は4世紀後半から6世紀にかけて築かれ、昔から本庄四十八塚と呼ばれていて、台地上に散在する丘はほとんど古墳とみなされていることや、古墳時代この一帯は久迩止美比古命(くにとみひきのみこと:景行天皇の孫)の孫にあたる地方豪族牛諸井(うしもろい)が諸県君(もろかたのきみ)として支配しており、本庄古墳群は諸県君の歴代の墓として造られたとも考えられること等も記されている。

 http://www.town.kunitomi.miyazaki.jp/main/tourism/tourism_history/page000532.html

 

また下記の「九州の古墳」によれば、42号墳・藤岡山東陵は墳丘長90mの前方後円墳で葺石と周溝を伴い、出土した埴輪から5世紀中頃の築造と推定されるそうだ。前方部が先端に向かって開く形で、くびれ部の両側に造り出しがあるとのこと。

5世紀中頃には同じ大淀川の下流に位置する生目古墳群に墳丘規模の縮小傾向が見られ、その動きと、4世紀代から続くこの本庄古墳群の勢力台頭とは連動している可能性もあるだろう、とのことだった。

九州の古墳

九州の古墳

  • 作者:吉村 靖徳
  • 発売日: 2015/12/25
  • メディア: 単行本
 

 

本庄古墳群はここから3㎞北西の畑の中にも48~53号墳が残っており、途中の市街地にも数基が残っている。今回は探訪できなかったが、42号墳とともに再訪の機会を見つけたい。

前出のOBITOさんのサイトに紹介されています。