墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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本庄古墳群 28号墳(前堀塚)・29号墳(下長塚)・31号墳(京塚)・34号墳(義門寺山内塚) 宮崎県東諸県郡国富町大字本庄

ここから本庄古墳群の後半です。

街中にあった案内図(下が北)のほぼ中央、上側の赤い印の本庄小学校から右(西)側へ向かいます。

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前回の27号墳・猪の塚から100m西にあった28号墳・前堀塚。

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28号墳・前堀塚は本庄小学校の校庭脇に立地し、長軸を南東に向ける前方後円墳。

奥が後円部で、手前の前方部右裾は校庭で少し削られている。

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 グーグルアースで。「本庄古墳群」のピンの左下が28号墳。

東(右)に27号墳、北に29号墳、北東に26号墳と、前方後円墳がほぼ同じ向きで仲良く並ぶ。

 

墳裾に標柱がある。

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前方部左裾から。奥が後円部。 

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墳頂に上がらせていただいて、前方部から後円部を。

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 後円部に移って、振り返っての前方部。

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本庄小学校の校庭。 

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ズームすると、標柱の立つ30号墳(溝の面塚) の一部が写った。

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後円部から北方向。並木の先に29号墳・下長塚の一部が見えている。

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その並木の先へ移動して29号墳を。右が後円部で左に前方部。

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後円部に上がらせていただいて前方部方向を。全長は63m。

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後円部の先端側。

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南側には校庭。本庄小学校の子ども達は3つの前方後円墳に見守られている。墳丘は遊び場になっているのでしょう。先祖に見守られて幸せな子供たち、子孫とともにあって幸せな古墳!

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前方部から後円部方向を。

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前方部右裾から。右奥に後円部。 

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後円部の裾に説明板があった。

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本庄古墳群 29号墳・下長塚
全長63m、高さ約6mの前方後円墳
古墳時代中期の5世紀前葉に造られたと考えられています。
発掘調査でふき石や、円筒埴輪のかけらなどが見つかっています。
(ふき石は、古墳の表面を覆っていた石のことだよ!)

 

本庄小学校にはもう1基、北西側道路沿いに円墳があった。

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31号墳(京塚) は径約35mの円墳。地下式横穴墓を有していた。

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本庄古墳群 31号運・京塚
南北約35m、高さ約3mの円墳です。
本庄小学校の旧講堂(現体育館)建設のために南東側が削られ、旧本庄町役場があった西側が整地されたため、いびつな形になっています。
旧講堂を造る際に、古墳裾部から地下式横穴墓が見つかっています。
(昭和の初め頃までこの古墳の上に火の見櫓があったんだって!) 

 

道路反対側から。 

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墳頂に上がらせていただいて北方向を。向かいには義門寺がある。

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東側。墳丘が削られた部分?

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31号墳の北西側の交差点にあった味のある建物。

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その建物の北側は義門寺の墓地で、その中に34号墳・義門寺山内塚が残っていた。墳丘には、江戸後期に活躍した地元(本庄村犬熊)出身の幕内力士・竹縄大八郎(本名・白坂亀之助)の供養塔がある。

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バス通り側に回ると34号墳の説明板もあった。 

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本庄古墳群 34号墳・義門寺山内塚
全長約54m、高さ約3mあり、現在は墳丘がかなり削られていますが、前方後円墳です。
江戸時代の地元出身力士(大関)の竹縄大八郎の供養塔や、日露戦争の忠魂碑(1905年)などが立てられています。
(「義門寺山内塚」は、義門寺の境内にある古墳っている意味だよ!)

 

墓地を通りぬけて。

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墳丘へのスロープ。 

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その先に立つ供養塔。

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振り返っての前方部方向(?)の北西側。

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34号の標柱脇を進む。 

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 その先には日露戦争忠魂碑があった。

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振り返っての南東側。おそらく後円部方向。 

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墳丘から北側の墓地。

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後円部(?)から前方部方向を。

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