墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

長塚古墳 栃木県下都賀郡壬生町羽生田

桃花原(とうかはら)古墳からは南に1㎞弱の長塚古墳へ。

グーグルマップでルートは出ますが、そこを辿るとどちらの古墳にも至れません。

 

長塚古墳も、そのルートでは畑越しに墳丘が見えるだけ。(北側の農道から)

 

前方後円墳の墳丘が見えるのですが…(東側の農道から)

 

南の県道3号線(宇都宮亀和田栃木線)沿いに案内標識があるものの道が無く…

 

その50m西側にルートがありました。(軽トラ以外で入るのは難しいと思います)

 

その農道の突き当りに墳丘。

 

そこから来た道を振り返って。

 

長塚古墳は全長77mの前方後円墳で、県指定史跡。

栃木県指定史跡 長塚古墳
種類:栃木県指定史跡
指定年月日:壬生町大字羽生田字新郭
長塚古墳は、黒川東岸の台地上につくられた前方後円墳です。
墳丘は二段につくられ、第一段平坦面(基壇)が幅広くつくられているのが特徴です。墳丘第一段の全長が77m、第二段が53mあります。高さは前方部、後円部とも約6mほどあります。
墳丘第一段の南側は大きく削平を受けていますが、平成6年度に行った発掘調査により、現在畑となっている墳丘の周囲から、幅6m・深さ1.5mの周溝(掘)がめぐっていることを確認しました。また墳丘第一段の平坦面からは、表面をおおう川原石(葺石)も確認されました。
現在、羽生田地区にある有力者の古墳は、茶臼山古墳・富士山古墳→長塚古墳→桃花原古墳の順に築かれたと考えられています。
また長塚古墳は、墳丘の形や埴輪が出土しないことから、古墳時代後期(6世紀末から7世紀初頭)に築かれた古墳と考えられています。
平成22年2月 壬生町教育委員会

 

前方部の先端側。


前方部右裾から。右奥に後円部。

 

前方部墳頂に上がって、後円部方向(東)を。

 

墳頂から南側の眺め。


墳丘の左(北)側面を。


後円部に渡って振り返った前方部方向。後円部も前方部も高さは同じ6mほど。

 

後円部裾から墳丘右側面(南側)を。

 

南側面のくびれ部あたりに県指定史跡と刻まれた石碑がありました。

 

昭和39年の建立です。