墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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判官塚古墳 栃木県鹿沼市北赤塚町

桃花原古墳から西に、黒川を渡って約1㎞。川の右岸にあるのは判官塚古墳。

 

東側から。後円部をこちらに向けています。

墳頂に桜、斜面に水仙と、春に華やかな墳丘。

 

北側から。左(東)が後円部、右(西)が前方部。

 

くびれ部と前方部に2本。

 

鹿沼市の説明板。かつては周囲に十数基の小円墳があって群集墳を形成していたそう。

鹿沼市指定史跡 判官塚古墳(1基)
指定:総和36年(1961)12月12日
所在:鹿沼市赤塚町895
規模
墳丘全長 60.90m
前方部幅 39.15m 高さ4.73m
後円部径 31.30m 高さ5.15m
判官塚古墳は、南流する黒川と思川にはさまれた台地上に位置する、市内最大級の前方後円墳です。前方部の幅が後円部の直径よりも広く発達するという墳形や埴輪の特徴から、6世紀後葉につくられたものであると考えられます。
墳丘には崩れを防ぐための葺石があり、所々で露出しています。また、墳丘からは須恵器のほか、県内では限られた古墳からのみ出土する「低位突帯」を有する円筒埴輪が採集されています。
埋葬施設である石室は、後円部にあって、南側に開口しています。奥壁や天井石には巨大な石を用い、側壁は河原石を小口積みにした両袖形の横穴式石室です。現在は土砂に埋まっているために中にアイルことはできませんが、昭和3年(1928)の測量では、遺体を納めた玄室の長さが4.1m、奥壁の玄室幅は2.5mとなっています。
昭和初期の耕地整理が行われる以前は、周囲にも十数基の小円墳があり、古墳群(群集墳)を形成していたことも知られています。後円部北側に置かれている巨石は、平成17年(2005)の県営圃場整備事業に伴う発掘調査において、墳丘北側の水田内で発見されたもので、本古墳の石室材と考えられています。また、この発掘調査で、現状では見ることのできない周溝の範囲が確認されました。
判官塚という名称は、源九郎判官義経が奥州に向かう途中、ここに隠れたという伝説に由来しています。また、西方氏の祖をされる烏丸大納言が冠を埋めたので冠塚と呼ばれるなど、いくつかの伝説を秘めている古墳です。
令和3年(2021)3月 鹿沼市教育委員会

 

上空写真(上は東)

 

グーグルアースでも、きれいな形が認められます。

 

説明板の近くに置かれた「天井石」 なかなか大きいです。

 

くびれ部に上がって前方部方向を。

 

前方部墳頂の小祠。鳥居もあります。

 

前方部先端から西方向。

 

墳丘から南方向。

 

前方部から後円部方向

 

後円部へ渡って前方部方向。

 

後円部斜面は淡い黄色。

 

後円部の南側斜面にも板石が。

 

降りていくと開口部も。後円部南側です。

 

ピントが手前の草ですが、川原石の側壁と袖柱の一部が。

 

開口部前から見上げた鞍部。

 

後円部先端側へ回り込んで。左奥へ前方部。

 

後円部先端側の裾から。

 

後円部の北側裾から。さきほどの説明板と天井石です。

 

見事な桜でした。


判官塚古墳の100m西の国道沿いに、気になる神社がありました。

 

西向きの鳥居の前の参道がきれいに整備されていまs。

 

磐裂根裂(いわさくねさく)神社というそうです。この名でマップを検索すると、栃木県で十社の位置が示されました。

 

階段を上がって左を向くと拝殿が。

 

内部のお社は、まるで封印されるかのように厳重にガードされていました。