富士山古墳の後は西に800mほどの平坦な台地上の数基を見学。黒川左岸の、北から南に伸びる舌状台地です。
最初に桃花原(とうかはら)古墳へ。
グーグルマップに導かれて墳丘の北側へ向かうも近寄れず。
南側の道路脇に案内表示があります。
表示の先に墳丘の木立。
標柱も、解説板も完備です。
桃花原古墳は直径63mの、なかなか大きな円墳です。
桃花原古墳
桃花原古墳は、黒川東岸の台地上に築かれた三段築成の円墳です。他の羽生田地区の大型古墳同様に、墳丘第一段の平坦面を広く造る特徴がみられます(基壇)
桃花原古墳は平成13年度から四次にわたる発掘調査が行われました。
その結果、墳丘は直径が63m・高さが約5mあり、墳丘の第二段と第三段の斜面は葺石で覆われていることが判明しました。
石室の前面には、川原石で造られた「前庭」といわれる祭祀の場が完全な形で発見されました。
「前庭」からは金銅張りの馬具や多量の鉄鏃を含む武具類、そして「斧状鉄製品」といわれる特殊な遺物も出土しています。また、墳丘上には多くの須恵器の甕が並べられていたと推測されます。
石室の石材はほとんどが失われていましたが、おもに凝灰岩で造られた複室構造の横穴式石室であったと推測されます。桃花原古墳は、羽生田地区最後の権力者の古墳と考えられ、出土している土器等の年代から7世紀の前半に築かれたと考えられています。
平成22年12月 壬生町教育委員会
調査時の写真には、主な石材が抜かれた石室と、川原石が敷かれた「前庭」が見えます。白い横長の石から向こうが羨道・玄室でしょうか。
出土した馬具の部品。
葺石とみられる川原石が集められた場所。
祠のほうへと、登らせていただきます。
墳頂から振り返って。
結構木々が繁っていますが、葉が繁る前だったので周囲の様子はわかりました。
初めに通った北側を。
墳丘際まで太陽光パネルが。
↓こちらのサイトでは調査時の画像が見られます。
その説明によれば羽生田地区での桃花原古墳の築造時期は、富士山古墳、茶臼山古墳、長塚古墳に次ぐ、最後のものと考えられているそうです。
栃木県埋蔵文化センターだより「やまかいどう」(2004年5月号)の10頁目に発掘調査時の詳しい解説が見られます。
http://www.maibun.or.jp/c-info/pdf04/36.pdf
桃花原古墳の250mほど南、道路の反対側の枝道沿いにピンが立つ、亀の子塚古墳も訪ねました(中央奥)
墳丘に木々も生えている古墳です。
近寄ると奥に前方部のような高まりも。
前方部右裾から。
前方部上から後円部を。
後円部上から前方部方向を。
じっと見つめていると前方部の形が…
葺石のような川原石も見かけました。
さきほどと同じサイトによれば、亀の子塚古墳は全長35mの前方後円墳で、帆立貝型ともいわれ、昭和60年の発掘調査では葺石や、馬や人物の埴輪が確認されているそうです。周囲の墳丘に見られるような「基壇」は持たず、石室は未調査のため不明とのこと。
ぶじんさんが去年の12月に訪ねられています。
このぶじんさんのレポートを目にして、茶臼山古墳を再トライせねばと思ったのでした。