墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

永野古墳群1号墳(三納古墳群) 宮崎県西都市大字三納

永野古墳群は前回の常心塚古墳の5㎞北東、西都原古墳群に並行する舌状台地の南側に立地する前方後円墳

三納川左岸の国道沿いに永野古墳群、松本塚古墳、清水・西原古墳群が、1.5kmおきに点在していた。

 

永野古墳群1号墳は自動精米所の裏手に。

f:id:massneko:20200421115120p:plain

 

後円部墳頂の祠に参拝。

f:id:massneko:20200421115153p:plain

 

墳頂から西方向。

f:id:massneko:20200421115255p:plain

 

南東方向。左からの山裾に松本塚古墳がある。

f:id:massneko:20200421115410p:plain

 

永野古運群1号墳は全長63.5mの前方後円墳。前方部は道路で削られているが、解説板には墳丘そのものも復元されたものと記されていた。

f:id:massneko:20200421115448p:plain

 

前方部左裾から。

f:id:massneko:20200421115540p:plain

 

現地説明板。築造時期は4世紀末~5世紀初頭と、古墳時代でも前期にあたる。

f:id:massneko:20200421115611p:plain

県指定史跡 永野古墳群
昭和10年7月2日指定・平成27年9月7日名称変更
永野古墳群は、三納川北側の沖積地(標高約16m)に1号墳が、その北側150mの台地南端尾根部(標高約32m)に2号墳が位置します。墳形はいずれも前方後円墳です。
1号墳は、平成9年(1997)に市道三納線の歩道敷設に伴い発掘調査が行われました。水田下に埋もれていた形状が確認され削平を受けていましたが、墳長63.5m、後円部径35.2m、前方部幅16.2m、くびれ部幅8.2mの前方後円墳と復元されました。前方部はくびれ部からやや撥形に開く形状を呈しています。また、墳丘の周囲に沿って鍵穴状に周溝が巡り、墳丘斜面に川原石を用いて葺石が施されていることも確認されました。
2号墳は、調査は行われていませんが、現状で墳長約54m、後円部径36m、高さ5.7m、前方部幅22m、高さ2.5mを測り、前方部に葺石の露出箇所があります。
1号墳は出土した土師器から4世紀末~5世紀初頭頃に築造されたものと考えられ、2号墳もその形状から古墳時代前期後半に位置づけられます。当時の三納川流域の首長墓であると考えられます。
平成28年3月 西都市教育委員会

 

説明板の周辺古墳図の拡大。後ろの百塚原古墳群には、わんさかある。

f:id:massneko:20200421115728p:plain

 

地図によれば、民家の裏山の頂上あたり(比高差16m)に2号墳(前方後円墳・全長54m)があるはずだが、この後に西都原古墳群探訪が控えていたので次の機会とした。

f:id:massneko:20200421115801p:plain

 

西都市のサイトによれば、立地や形状から築造順は2号墳→1号墳の順と推測されるとのこと。こちらでは1号墳の築造時期は出土した小型丸底壺や二重口縁壺などから5世紀初頭とある。

1号墳は前方部が低くて幅も狭い柄鏡型の前方後円墳とされてきたが調査の結果、やや撥形に開く形状で、葺石は区画石の内側に小ぶりな川原石を差し込む丁寧な手法で仕上げられていたことが分かっている。

http://www.city.saito.lg.jp/post_333.html