墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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塚原古墳群(その4:花見塚古墳、石之室古墳) 熊本県熊本市南区城南町塚原

前回の琵琶塚古墳から見えていた花見塚古墳(中央奥)

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別の円墳上からみた花見塚古墳の後円部先端側。周溝と、結構高い周堤を持ちます。

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周堤越しの後円部。


側面を北側から。右が後円部、左が前方部。見学用の椅子(?)が並んでます。

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説明板と模型も完備。

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墳丘長46.2mの前方後円墳。大正4年に、盗掘で家形石棺が破壊されたようです。

花見塚古墳
現存墳丘長31.7m 後円部径24.6m
総延長62.2m 前方部幅24.3m
墳丘長46.2m 前方部長21.6m

花見塚古墳は、日本最大の前方後円墳である大山古墳(仁徳天皇陵)の約100分の1の大きさにすぎませんが、塚原古墳群では琵琶塚古墳と並ぶ最大の前方後円墳です。古墳群の中では、最もおそく6世紀の終わり頃築かれ、出土する土器から7世紀の初め頃まで利用されたことがうかがえます。
この古墳は二重の周濠(溝)や周濠を共有する円墳と伴っており、地方の小規模前方後円墳としてはきわめて珍しい特徴をもっています。
内部には家形石棺が納められていたと思われますが、大正4年に心無い人たちによって壊されてしまいました。その時、鉄剣・やじり、よろい・耳環・玉類など出土したと言われます。

 

墳形の比較。

 

家形石棺埋設推定図。

 

築造のようすも解説されています。

花見塚古墳の築造
前方後円墳を築くためには、いろいろな制約がありました。だれでもどこにでも築けるというものではなく、身分によって大きさが制限され、地形や周囲の状況にも影響されたと思われます。
花見塚古墳もこれらの条件にかなった設計図が描かれ、築造工事にはのべ1万人ほど携わったことが確認されます。

 

模型を前方部側から。右下の円墳は元からあったものなのでしょうかね。

 

前方部左隅から。

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右隅から。

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隣り合う円墳には「塚原20号墳」とありました。

 

その円墳の墳丘からみた花見塚古墳。

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側面を南側から。

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南側にある円墳上から。

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その背面には石之室(いしのむろ)古墳。径31mの円墳です。

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横穴式石室への扉と思われるものがありますが施錠されていました。

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(2021年11月訪問)

 

検索すると下記の記事が。

6世紀初頭の築とみられる石之室古墳の横穴式石室には蓋石に線刻のある家形石棺があるが、2016年の熊本地震で崩壊してしまったとのこと。

【日本の源流を訪ねて】塚原古墳群・石之室古墳(熊本) - 産経ニュース

 

また、ダウンロードできる「熊本市の古墳の被害状況」(熊本市役所 三好栄太郎氏)の資料(pdf)で、倒壊前と後の画像が見られます。