墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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夫婦塚古墳(再訪) 茨城県鹿嶋市須賀

2020年12月29日、茨城県鹿嶋市と千葉県銚子市の古墳をいくつか廻った。

日が昇る前に電車に乗って幾つか乗り継ぎ、佐原駅の0番線で鹿島線に乗り換えるときには9時を回っていた。

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鹿島神宮駅前にて参拝客待ちのタクシーに乗ったが、運転手さんは夫婦塚古墳をご存知なかった。「浄水場の北側」でOK。

 

墳丘西側には何十台か停められそうな広場がある。

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パノラマで。右が後円部、左が前方部。

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その説明板。

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夫婦塚古墳 附陪塚(めおとづかこふん つけたりばいちょう)
鹿嶋市指定史跡
指定年月日 平成12年5月20日
北浦を望む台地上に分布する宮中野古墳群は、6~7世紀頃の鹿島地方の首長層の墳墓で、前方後円墳17基を含む100基以上の古墳を有する県内最大級の古墳群です。そのなかでも、夫婦塚古墳は宮中野古墳群中最大規模を誇る前方後円墳です。主軸方位はほぼ北西で、規模は全長107.5m、後円部径47.5m、同高7.5m、前方部幅34.0m、同高5.75mを計ります。後円部の径・高さに対し、前方部の幅・高さの計測値がそれぞれ小さいことや、くびれ部から前方部先端部に向けて、僅かに広がりながら直線的に伸びていく墳形などから考えると、6世紀中葉から後葉にかけて築造されたものと考えられます。
周堀については前方部先端部が不明確ですが、全体的に良好に確認することができます。墳丘の北側は道路、南側は土盛りによって、それぞれの原形の一部が損なわれていますが、残存する部分の等高線から類推すると夫婦塚古墳は盾形の周堀を有していた可能性が強いようです。周堀の規模は後円部の東側で約20m、くびれ部付近では優に30mを超えるものと考えられ、夫婦塚古墳の全長は周堀を含めると150m以上に達すると思われます。
夫婦塚古墳の墳丘で最も特徴的なのは、後円部及び前方部の墳頂に平坦面がなく、後円部の断面形が円錐形で、前方部が馬の背状の形状をしていることです。後円部が円錐形の古墳としては、北浦を挟んで対岸の台地上にある大生古墳群(潮来市大生)の鹿見塚古墳などが挙げられますが、こうした形状が古墳築造時のものであったかは、今後検討を加える必要があります。
【陪塚】夫婦塚古墳後円部東側に近接し、寄り添うように2基の円墳が位置しています。規模は北側の古墳が径17.5m、高さ1.25m、南側の古墳が径15.0m、高さ1.0mを計ります。両古墳とも周堀、葺石は確認できていません。
平成18年2月 鹿嶋市教育委員会 

 

前回訪ねたのは7年ほど前。この時は夫婦で、長男も同行の親子墳行。

 

そのときにはまだ無かった別の説明板。

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夫婦塚古墳
夫婦塚古墳は6世紀前半に造営されたとされ、125基ある宮中野古墳群の中で最大の前方後円墳(全長108m、後円部高さ7.5m、前方部高さ5.8m)です。夫婦塚の名は、前方部と後円部の二つの丘を寄り添う夫婦に見立て、呼称したことに由来します。南東部の2基の円墳とともに市の史跡に指定されています。
また、近辺の古墳調査で見つかった遺体を安置する石棺を展示しています。この棺は筑波山産出の接触変成岩を板状に切り出して箱形に組み合わせたものです。
2014年5月25日 鹿嶋神の道運営委員会

 

 後円部裾の周堀から。右が後円部、奥へ前方部。

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そこから見上げた後円部。

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後円部墳頂から後円部先端側(南東方向)

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最初の説明板にあるように、確かに墳頂の狭い円錐形。

「こうした形状が古墳築造時のものであったかは、今後検討を加える必要があります」と書かれているものの、ほかにあまり見ないような気がします。

一方で、韓国の墳丘にはそのような形(頂部に平坦面が無い)が多いようですが…(グーグルマップで「고분」~古墳と入れて航空写真を見て感じた、個人の印象です)

 

後円部墳頂から前方部方向。

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後円部から西方向。周堀の向こうに説明板。

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くびれ部へ進んで前方部を。

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くびれ部から後円部を振り返って。

円錐形がよくわかります。

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前方部の先端側まで行って振り返った後円部方向。

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前方部の先端側(北西方向)

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後円部東側の裾から。右奥へ前方部。

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後円部裾にいい雰囲気の小径が廻っていた。

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後円部先端側から。

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後円部の南側に残る円墳(117号墳:径15.0m、高さ1.0m)

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そのすぐ北側の円墳(116号墳:径17.5m、高さ1.25m)

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2基で夫婦塚を見守っているように見えました。