墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

川柳将軍塚古墳 長野県長野市篠ノ井石川 湯ノ入

土口将軍塚を訪ねた後は、千曲川を渡って善行寺平を横断し、西に4.7㎞の川柳将軍塚古墳へ向かいました。

 

グーグルマップに従って舗装の林道を行くと墳丘脇に2,3台停められる場所に出られました。が、小型車の車幅ぎりぎりの狭い道なので、対向車があると長い距離をバックする覚悟が必要。

f:id:massneko:20220414155808p:plain

 

すぐ背面に大きな墳丘がありました。右が後円部、左が前方部。スマホ広角で。

f:id:massneko:20220414170126p:plain


後円部への道へ向かいます。

f:id:massneko:20220414155756p:plain

 

9年前の説明板ですが、ピカピカでした。

f:id:massneko:20220414155836p:plain

国指定史跡
川柳(せんりゅう)将軍塚古墳
昭和52年7月14日指定
川柳将軍塚古墳は全長約93mを測る、長野県第二位の規模を誇る前方後円墳である。
墳丘には葺石が施され、円筒埴輪が立てられていたとみられる。後円部には内面が朱で塗られた竪穴式石室があり、銅鏡42面のほか、銅鏃、筒形銅器、筒形石製品、琴柱形石製品、車輪石、玉類、金銀環などが出土したと伝えられている。銅鏡6面、琴柱形石製品2点、玉類が現存し、長野県宝に指定されている。また、前方部にも竪穴式石室があり、遺物が出土したとされている。
本墳は、立地、墳丘形態、埴輪等から古墳時代前期後半代の築造とみられ、千曲市の森将軍塚古墳に続く地域王墓と考えられている。
平成25年12月27日 長野市教育委員会

 

色がきれいな出土品。

f:id:massneko:20220414155917p:plain

 

後円部墳頂には祠と、ここにも説明板。

f:id:massneko:20220414155952p:plain

 

45年前の、木枠の説明板ですが大事に保護されてしっかり立っています。

f:id:massneko:20220414160004p:plain

史跡 川柳将軍塚古墳
<指定>昭和52年7月14日文部省告示第147号文化財保護法第69条第1項の規定により指定。
<説明>この古墳は全長91mの前方後円墳で、後円部の径42m・同高さ8.4m、前方部幅31m・同高さ5.5mあって、前方部を北北東に向け、後円部と前方部の頂部には竪穴式石室と推定される主体部がともに主軸に並行して配置されていたと伝えられている。
寛政年間に盗掘され、漢式鏡28面、銅鏃17本、筒形銅器2個、筒形石製品1個、碧玉製の琴柱形異形石製品2個と車輪石1個のほか硬玉製勾玉7個、金銀環、管玉、平玉、小玉などが多数出土したことが記録されている。現存するものは、内行花文鏡をはじめ6面、碧玉製垂飾、勾玉、管玉、切子玉、小玉などである。
本古墳は、外形・石室・遺物等により西暦400年前後の築造と考えられ、豊富な副葬品をもった善光寺平最古期かつ大型古墳の一つである。
昭和52年10月 文部省 長野市教育委員会

 

後円部墳頂から東側。松林の向こうに善行寺平が。

f:id:massneko:20220414160017p:plain

 

祠の前には気になる石が頭を出していました。

f:id:massneko:20220414160217p:plain

 

後円部から前方部を。90mを超える大きさを感じます。

f:id:massneko:20220414160232p:plain

 

鞍部から前方部を。

f:id:massneko:20220414160249p:plain

 

鞍部から後円部を。

f:id:massneko:20220414160259p:plain


前方部の先端側です。右のほうに説明板(の裏)が見えました。

f:id:massneko:20220414160315p:plain


そこは埴輪円筒棺が出土した場所でした。

f:id:massneko:20220414161811p:plain

埴輪円筒棺
昭和42年11月1日 長野市指定文化財
所在地 篠ノ井石川湯ノ入
この埴輪円筒棺は、昭和4年川柳将軍塚の環境整備のためn植林を行った際に発見された。
川柳将軍塚は、長野県における最古の古墳である。この古墳前方部端より数mはなれた所に小円丘がある。その小円岡の直径は4mで、比高1mに満たないものである。
この埴輪円筒棺は、ほぼ水平にすえられており、両端は素焼きの大型土器片や円筒埴輪片で封じられ、円筒棺の周囲もこれらの破片で補強されていたとのことである。
埴輪円筒棺は、器高79.8㎝、直径37㎝、平均壁厚1.8㎝である。本器は通常な円筒埴輪棺の製作技法と異なり、大型の甕形土器を積み上げるという方法で行われており、その凸帯も口唇状をなしている点が注目される。また、三角様の窓が二箇所ほぼ対称に開けられている。この形状は、この地方から出土した埴輪円筒棺とは全く異なる特徴をもつ。
埴輪円筒棺は、ほとんど主墳に対する陪塚的性格のもので、この棺も川柳将軍塚に対する追葬的陪塚と考えてよいであろう。
平成22年10月 下石川区 川柳将軍塚保存会

 

その先にも円墳的な高まりが3つ連続していました。

f:id:massneko:20220414161854p:plain

 

このあたりは樹林が疎で、平地の様子がわかります。

f:id:massneko:20220414161945p:plain

 

そこから右に視線をずらして。右奥が後円部斜面です。墳丘が台地端に築かれていることがわかります。

f:id:massneko:20220414162050p:plain

 

中央が前方部左裾、左奥の木々の陰に後円部。

f:id:massneko:20220414162127p:plain

 

前方部右裾から。右奥に後円部。周濠の一部が池になっていました。

f:id:massneko:20220414170237p:plain

 

平野部や対岸の展望は、林道途中の”あずまや”から得られます。

中央右手前の山の中腹に森将軍塚古墳が見えました!(4.8㎞先)

f:id:massneko:20220414160146p:plain