前回の小塚古墳から100mほど道路を進むと、石清尾山古墳群全体の説明板が立っていました。
石清尾山古墳群
史跡 昭和60年7月16日指定
石清尾山には現在、百をこえる古墳があるが、なかでも墳丘を石で造った積石塚古墳が有名である。
これらの積石塚古墳は、全国的にも珍しい双方中円墳2基、前方後円墳8基、方墳1基、円墳10数基と変化に富み、規模も全長100mに近いものから直径数mのものまで様々である。このほとんどは、古墳時代前半の4、5世紀にかけて造られたものと考えられている。
以上のことなどから、石清尾山古墳群は、郷土を知るうえでも、また、学術上からもきわめて貴重な遺跡として、高い評価を得ている。
高松市教育委員会
積石塚という作りからして珍しいのに、双方中円墳が2基もあるというレア度。
その先から散策路へ。
石船塚古墳の説明板がありました。
石船積石塚
史跡
昭和9年1月22日 国指定
この古墳は、石清尾山古墳群の中のひとつで、最も早く国の史跡に指定された。
本古墳は、鏡塚の南に位置し、前方部を北側にむける前方後円墳(積石塚)である。
古墳の全長は、約57mの規模をもち、墳丘形状をよく残している。後円部墳頂に刳抜式割竹形石棺があり、棺身には造り付けの枕がある。この石棺が船形様であることから石船塚と呼ばれている。円筒埴輪が出土しており5世紀初めごろに築造されたと考えられる。
高松市教育委員会
周辺には岩がごろごろ。
すぐ先に、後円部先端側が現われました。
斜面にあったサインは「遺跡保護のお願い」
立入禁止ではなく、ご注意のお願いでした。慎重に登らせていただきました。
墳頂の様子です。
確かに、石の丸木舟のような石棺です。
左が蓋、右が身で、身の手前側には「ひ」の字に彫って造った石枕が。
石棺脇から前方部方向を見ます。
後円部先端方向をスマホ広角で。
木々が無ければ、讃岐平野をワイドに展望できるでしょう。
高松市のサイトによれば、後円部では刳抜式石棺の南西4mに小竪穴式石室(板石を積み上げた、内部には朱が塗られた石室)が発見されているそうですが、見逃してしまいました…
小竪穴式石室からは鏡1面が出土し、積み石の間からは土師器や円筒埴輪の破片が採集されたとのこと。
また、前方部に竪穴式石室1基があることもわかっているそうです。
くびれ部あたりから前方部を。
前方部へ渡って後円部側を。きれいに形が残っていました。
その先へちょっと進んで振り返った石船積古墳。