墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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野毛大塚古墳(のげおおつかこふん) 東京都世田谷区野毛

前回のつづき。

多摩川台の古墳群を見た後に、世田谷区野毛の野毛大塚古墳も再訪した。

東急大井町線の等々力駅から徒歩10分ほどにあるが、このときは天気が良かったので多摩川台公園から徒歩で3,40分ほど、高低差を楽しみながら。

 

多摩川が削った崖線を南側から上っていくと、形の良いどっしりとした帆立貝形前方後円墳があった。

 

まずは墳丘へ。一段目のテラスまでは葺石が復元されている。

 

墳丘の高さは10m。 

 

高さをかみしめながら階段を登る。

 

2段目のテラス。

 

前に来た時にここを駆け巡った小3の子供は春から中学生・・・

国史跡・亀甲山古墳 宝莱山古墳 野毛大塚古墳 東京都大田区 - 墳丘からの眺め

 

墳頂から北側の眺め。

 

パノラマで。

 

南側をパノラマで。

 

団地と樹木の間に、多摩川対岸が少し望めた。

 

墳頂から見下ろす短い前方部。

 

隣りに小さな”造出部(つくりだしぶ)”がある。

 

なんかさっぱりしていると思ったら、なんと1段目のテラス縁に並んでいた埴輪列が無くなっていた。下の写真は2013年5月時。

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修繕や草刈のための一時撤去ならいいが・・・ 

 

墳頂には埋葬施設の位置がタイル等で示されている。

 

第1から第4まで、4つの主体部(埋葬施設)が発掘された。

 

こちらには石棺があった。

 

そのレプリカを世田谷区立郷土資料館で見ることができる。

 

墳頂の埋め込みはグーグルアースでもわかる。

 

中央の主軸上にある第1主体部を北側から。 

長さ7.45mの長大な割竹形木棺には副葬品として、銅鏡・銅釧・石製模造品、勾玉・管玉・丸玉・臼玉などの玉類、堅櫛、刀子、鉄刀・鉄剣・鉄鉾・鉄鏃などの武器、甲冑類の武具などが収められていた。

 

兜の位置も示されていた。

 

実物は世田谷区立郷土資料館の企画展で見た。

 

発掘時の映像も。

 

墳頂からは、別の階段を下りた。 

 

2段目のテラスを左方向へ。

 

 今度は1段目のテラスに下りて右方向へ。

 

テラスを降りて前方部の先から。墳丘の見事さは、東京ではNo.1ではないか。

 

やはり円筒埴輪が無いと(有ったときを見ているので)物足りない。

 

賑やかしに、遊具を前に入れて。

 

こちらには1/150の立体模型が付いた説明板がある。

 

その説明文。 

野毛大塚古墳
野毛大塚古墳は5世紀初めに造られた全国でも最大級の帆立貝式前方後円墳です。
墳丘の全長は約82mで、後円部は直径が約68m、高さ約10m、前方部は前端の幅約28m、高さ約2mで、後円部に比べて極端に小さく、低いことが特徴です。
また、前方部の脇には長さ、幅とも約10m、高さ約1mの造出部と呼ばれる小さな方形部分が付設されています。
さらに、古墳の周囲は最大幅約13m、深さ約2mの空堀で馬蹄形に囲まれています。
墳丘は平坦な地面に盛土をして築かれていて、前方部は1段、後円部は3段になっています。また、その表面はすべて多摩川の河原石を使った葺石で覆われています。
幅約3mのテラス(平坦な部分)と後円部および前方部の頂上には、円筒埴輪と朝顔形埴輪による埴輪列が、造出部には柵形埴輪がそれぞれ1重に巡っています。
この他には家、盾、鶏などの器物や動物などをかたどった形象埴輪が置かれています。
また、濠の中からは、本来は墳丘の上に立てられていた埴輪や、祭りに使われた高坏などの土器(土師器)が出土しました。

 

前方部先端の稜線。

 

前方部と造出部の間から見上げる墳丘。

 

前方部を真横から。

 

造出部の前からパノラマで。

 

都史跡の石碑も立っていた。

 

その隣に説明板。

東京都指定史跡 野毛大塚古墳
所在地:世田谷区野毛1-36
指定:昭和50年2月6日
野毛大塚古墳は全長82m、後円部の高さ10mの帆立貝式の前方後円墳で、前方部に近接して小さな造出部(つくりだしぶ)が付設されている。墳丘の周囲には馬蹄形の周濠が掘られており、周濠を含めた全長は104mである。三段に構築された墳丘は全体が河原石で覆われ、円筒埴輪がそれぞれの段にめぐらされている。
後円部頂上には4基の埋葬施設があり、中央に粘土に包まれた割竹形木棺、南東側に箱式石棺、北西側に2基の箱形木棺が納められている。割竹形木棺からは甲冑、刀剣、鉄鏃などの武器・武具類、鉄鎌、銅鏡、銅釧、玉類、石製模造品、竪櫛などが、箱式石棺からは刀剣、鉄鏃、玉類、石製模造品などが、2基の箱形木棺からは、刀剣、鉄鏃、鉄鎌、石製模造品、玉類などがそれぞれ出土している。
野毛大塚古墳は関東地方の中期古墳文化を代表する5世紀前半に築造された古墳である。出土した多量の武器・武具類や石製模造品は、この古墳が南武蔵の有力な首長墓であることを示している。
平成5年3月31日建設 東京都教育委員会

 

英語版も一応。帆立貝形は「scallop-shaped tomb mound」と訳されていた。

 

墳丘の巨木。

 

味わいのある字で書かれた小さな石碑もあった。