墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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西都原古墳群(その4) 姫塚(202号墳) 宮崎県西都市大字三宅

前回のつづき。

300基以上を擁する西都原古墳群には、稠密度の高いエリアが三か所あり、南に第一、東辺に細長く第二、北に第三と古墳群の名がついている。

それぞれに駐車スペースがあって見学しやすい。というより、広大なので車か自転車で巡ることをお勧めします。「P」の左にあるのが姫塚。

 

上記の駐車スペースにあった「第一古墳群」の案内図(左下が北)

ここだけでも前方後円墳が7基ある。

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まずは第一古墳群のすぐ脇にあった姫塚(202号墳)へ。

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現地説明板によれば、 西都原古墳群で最後に築かれた前方後円墳のようだ。

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202号墳
通称「姫塚」と呼ばれる202号墳は、西都原に築かれた前方後円墳の中で最後の時期のものです。
日本最初の本格的な古墳の学術調査として知られる大正元年(1912)の発掘調査では、土器類や鉄製品、玉類が出土していますが、埋葬施設は不明のままでした。
宮崎県教育委員会では、古墳の築造時期や詳細な墳丘形状と規模、埋葬施設の解明を目的に、平成20年(2008)から地中レーダー探査と発掘調査を実施しました。その結果、墳丘は二段築成で葺石がないこと、墳丘裾部が全周囲にわたって削られていたこと、主体部は木棺直葬であることなどが明らかになりました。出土した土器類から、6世紀後半に築造され、7世紀前半まで埋葬が行われたと考えられます。
墳長:57.3m、後円部径:34.4m、後円部高:6.2~6.3m、前方部幅:41.5m、前方部高:5.4~5.7m、くびれ部幅:21.5m

 

埋葬施設の説明板も。後円部頂部に2基以上、前方部にも木棺直葬の埋葬跡があったと考えられている。

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大正時代の調査と埋葬施設
大正元年(1912)に実施された発掘調査では、後円部と前方部の頂部から須恵器や土師器、鉄剣や鉄鏃、玉類が出土していますが、埋葬施設は不明のままでした。
平成20年(2008)からの調査により、後円部上に少なくとも2基以上の木棺直葬が存在することが明らかとなりましたが、前方部では確認できませんでした。しかし、大正時代の調査による遺物の出土状況との類似性から、前方部に存在した施設も木棺直葬であったと考えられます。
また、墳丘規模や築造年代などから、その存在が推定されていた横穴式石室については、地中レーダー探査や発掘調査において確認されませんでした。

 

後円部の裾から。左奥へ前方部。 

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墳丘(前方部)に上がらせていただいて、後円部を。

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後円部上にあった「古墳第202号」の碑。 

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後円部墳頂から北北西方向。中央に「鬼の窟古墳」が見えている。

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上記の中央をズームで。 

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 前方部左裾側。

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前方部先端、主軸上の方向(南南東) 

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円墳が見えているが全ては回れないと悟っているので、この位置からのみで。

 

前方部右裾側から見た姫塚・202号墳。

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この墳丘も、きれいな形でした。