前回の大谷古墳公園を出てからは竹野川沿いを北に縦断して13㎞、平野北端部に立地する黒部銚子山古墳へ。
国道482号線から説明板、その背後に後円部をこちらに向けた前方後円墳。
その説明板。
黒部銚子山古墳
古墳時代中期前半 京都府指定史跡
前方後円墳 二段築成 埴輪列 葺石
墳丘長105m 後円部径70m・高さ15m 前方部幅50m・高さ11m
墳丘長105mを測る弥栄町内最大、丹後三大古墳(網野銚子山、神明山、蛭子山)に次ぐ大きさの前方後円墳で、京都府の史跡に指定されています。
墳丘は、前方部の方向に続く丘陵を切り離し、削り出して成形されています。墳丘斜面の途中に一段の平坦面を設ける二段築成で、墳丘は非常に整った形を保っており、斜面には葺石が施されていたことが今でもうかがい知ることができます。また、円筒形の埴輪片が採取されていることから、古墳には円筒埴輪が据えられていたと推定されます。
これまでに発掘調査は行われていませんが、現在採取されている埴輪片から推定すると、古墳が築造された年代は古墳時代中期前半と考えられます。埴輪の特徴が機内で見られるものと酷似しているため、当時の丹後と畿内との関わりを考える上で貴重な古墳です。
京丹後市教育委員会丹後三大古墳と黒部銚子山古墳
網野銚子山古墳(国史跡)古墳時代前期 墳丘長201m 京丹後市網野町
神明山古墳(国史跡)古墳時代中期 墳丘長190m 京丹後市丹後町
蛭子山古墳(国史跡)古墳時代前期 墳丘長145m 与謝野町
黒部銚子山古墳(府史跡)古墳時代中期 墳丘長105m 京丹後市弥栄町
実測図のアップ。
背後の斜面を上がらせていただきました。
葺石があちこちに。
後円部墳頂は広く、木々が刈られて広場のようになっていました。
説明板を振り返って。比高差15mは大きいです。
後円部墳頂から前方部を。見事な造形。
前方部へ渡って後円部方向を。
斜面を見て、ここでも大きさを体感します。
前方部墳頂の角から。
左裾へ降りて。目の前が前方部で、左奥が後円部です。
南側の農道は、裾の形をなぞっていました。手前が前方部で、くびれ部、後円部を。
そこから振り返った東側。
後円部裾から前方部裾側を。
グーグルアースを見ると、東(右)から伸びる舌状台地先端に造られていることがよくわかります。
あらためて見ると、裾の木々や下草が刈られていることによって、墳丘の形や大きさが実感できることに気づきました。管理されている方々のおかげですね。
上記から振り返ったT字路交差点。
あれっと思ってズームすると…
グーグルマップには桑田2号墳とのピンが立っていましたが、日没が近くなっていたので訪問は次の機会としました。