墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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甘樫丘(あまかしのおか:国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区)・大和三山のパノラマ 奈良県高市郡明日香村大字豊浦

前回のつづき。

いよいよ、橿原市主催の「古墳めぐりと博物館見学ツアー」の当日となった。

前泊したのはこちらの民宿・吉田さん。実家に泊まるような雰囲気でした。

明日京観光協会がおすすめする民宿は1泊2食付きで一人6000円。 

明日香村の民宿 - 飛鳥京観光協会

 

こちらも、ふるさと納税がつかえる。自分たちもこれを利用した。

「飛鳥の民宿」ご利用券1泊2日(朝・夕食付)ペア宿泊券 | 奈良県明日香村 | ふるぽ

 

ツアーの集合が橿原神宮前駅に9時半だったので、朝食後にすぐ目の前の甘樫丘に上った。 駅までのバス(本数は少ない)まで30分無かったので早足で。

 

宿からは目の前に近道がある。

 

ちょっとした登り階段。標高は145mあるが麓との比高差は50mほど。 

 

丘の上の広場からは素晴らしい眺めを堪能できた。

 

北側の眺めを、パノラマで。大和三山がすべて見える。代々の蘇我氏や、飛鳥の大王・天皇も目にしたはずの眺め。

橿原市のサイトには、三山を恋の三角関係に例えた中大兄皇子の歌が紹介されている。

 

 

こちらが畝傍山(うねびやま)。左肩には二上山。

橿原市のサイトによれば標高は大和三山で最も高い198.8mだが、瀬戸内火山帯に属する死火山で噴火時は2倍以上大きかったとのこと。

畝傍山という名前は、田の畝のようにくねくねした尾根を多く持つところに由来するそうだが、 Wikipediaには「火がうねる」という説も紹介されていた。

 

きれいな三角形は耳成山(みみなしやま:139.6m)

こちらも橿原市のサイトによれば、火山の噴火で生まれた独立峰。万葉集では「耳梨山」と書かれているが、どの方向から見てもきれいな円錐形で「余分なミミが無い・山裾がない」と由来が説明されていた。

Wikipediaには「天然の山ではなく、古代に造営された上円下方墳」という説があったことも。

 

耳成山の東には持統天皇の歌で著名な香具山(天香久山)。標高は152.4m。

橿原市のサイトによれば、南から続く竜門山地の先端部分に連なり、堅い岩石(閃緑岩や斑レイ岩等)により浸食を受けても残った山塊。

 

確かに天香久山の東(右)には切れ切れに丘が連なっていた。

 

目を西に転じると、畝傍山の左には葛城山(中央やや左)や金剛山(その左)の峰々。

中景の緑の中には、沢山の古墳が存在していると思います。

 

現地案内板を見つけられなかったので、こちらの解説を。

甘樫丘 - 飛鳥散策スポット

頂上からは飛鳥一円が眺望できる標高145mの小高い丘である。この丘の中腹と麓に、蘇我蝦夷・入鹿親子の邸があったと言われているが、大化改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害したといわれている。『多武峯縁起絵巻』などにも炎上する蘇我邸が描かれているが、甘樫丘の東麓にあたる場所(甘樫丘東麓遺跡)が発掘された結果、焼けた建築部材・土器などが出土した。この位置が大化の改新の際中大兄皇子が陣取ったとされる飛鳥寺と対峙することや、土器の年代観が、この時期に一致することなどから、調査地の上方に蘇我邸が存在していたであろうことが想定されている。

 

こちらは東側。中央やや左、田んぼの端辺りに飛鳥寺が写っていた。

 

上記の左の家並みのズーム。瓦屋根の妻側が並んで綺麗だった。直線路の突き当たりが、奇祭・おんだ祭りが行われる飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ)

 

帰りはスロープの路を降りた。

 

麓には池も。

 

この丘の東麓から蘇我氏の邸宅跡ではないかとも注目された、7世紀前半~中頃と見られる建物跡や石垣が出土ている。こちらのブログに2007年に実施された現地説明会の詳しい報告がある。甘樫丘東麓遺跡

 

スロープを降りると長屋門的な建物がある公園入り口に出た。

 

バス停から東側。道路の左側に飛鳥川が流れる。

 

時間通りにバスは来て、ツアー集合場所の橿原神宮前駅へ向かった。

つづく。