墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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九州歴史博物館 福岡県小郡市三沢

塚口古墳の石室を柵越しに見た後は、8㎞南下して福岡県立の九州歴史博物館へ。

本降りだったので、博物館巡りに寄せました。

 

予想外に大規模な建物でした。

 

エントランスホール


中庭あり。雨粒写っています。

 

Wikipediaによれば、元は1973年に太宰府市石坂に開館したが、建物の老朽化などにより、2010年に現在地に新築・移転されたとのこと。

 

訪ねたときには「調査成果2023 西新町遺跡」の展示がありました。

 

福岡市営地下鉄の藤崎駅から西新駅の南側エリア。

古墳時代の「交易港」、西新町遺跡
西新町遺跡は東西に長く延びる博多湾に面した砂丘上に立地しています。今では街が広がり建物が多いため実感しにくいかもしれませんが、遺跡が最盛期を迎える今から1700年前には遺跡の少し北側まで海が広がっていました。
集落は強い波風の影響がある砂丘の海側斜面を避け、砂丘が高くなった所や内側の斜面に営まれています。遺跡の範囲は東西430m、南北250mと想定され、これまでの発掘調査で520棟を超える弥生時代後期終末~古墳時代前期前半を中心とする竪穴式住居跡が確認されています。
西新町遺跡が最盛期を迎える古墳時代初頭、この遺跡の西側にあり、西新町集落の墓地と想定されている藤崎遺跡以外には、約2㎞四方の中には同時期の遺跡はほとんど確認されておらず、まさにぽつんと立地した珍しい状態です。交易港として、物資が集まりやすい利点がある一方、戦いや伝染病等の社会情勢を混乱させる事態を招かないために、敢えて孤立状態になるようにして、政治的に重要な人びとがいるような中心集落から離れた立地に集落が形成された可能性があります。まさに交易のための集落と言えます。

 

古墳時代前期の陶質土器・瓦質土器。

表面には製作時の”ナデ”や日本では見られない”タタキ痕”が残るそうです。

 

こちらは”軟質土器”

 

野焼きで、日本の土師器と近い色ですが、その土師器は丸底で表面はハケ調整が目立つのに対して、これらの土器では平底が多く、表面はタタキ・ナデでの調整が中心とのこと。

コシキのような”耳”がありますね。

 

可愛らしい形の甑(コシキ)

 

朝鮮半島の甑の特徴と共通し、日本産の模倣土器の甑とは全体の形や表面の調整が異なるそうです。

 

こちらが日本産の、模倣・折衷土器。

 

畿内の土器も来ています。

 

須恵器にさわれるコーナーもありました。

 

器の内面


器の断面

 

常設展のメイン会場は、大宰府関連が中心。

 

吹き抜けの2階廊下から。

 

そこにあった甕棺。

公式サイトはこちら。

開館時間・観覧料・アクセス|九州歴史資料館

2024年2月下旬訪問