墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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古津八幡山遺跡 弥生の丘展示館(外観のみ) 新潟県新潟市秋葉区蒲ケ沢 花と遺跡のふるさと公園内

旧笹川家住宅見学後は9㎞東の古津八幡山古墳へ。

グーグルマップに導かれ、北側の金津地区コミュニティセンターから、軽しか上がれなさそうな道を通って墳丘脇に出てしまいましたがそれは次回で。

 

丘の西裾の史跡古津八幡山弥生の丘展示館の広い駐車場に停めるのが正しかったです。

 

駐車場脇の展示館。左は新潟市新津美術館。

 

展示館では古津八幡山遺跡の出土品やジオラマ、映像が見られます。

 

この日は9月10日(土)だったのですが、13日からは企画展「古津八幡山遺跡の過去・現在・未来」展を開催。(2023年3月12日まで)

 

なんと、企画展前だからか休館でした。

博物館・資料館は月曜日以外は入れるとは限らない、と分かっていながら…

 

入口脇の説明パネル。

国指定史跡 古津八幡山遺跡
古津八幡山遺跡は、信濃川と阿賀野川に挟まれた丘陵上に立地する弥生時代後期(1世紀~3世紀)の大規模な高地性環濠集落です。南北500m、東西300mの範囲に、環濠・竪穴住居・土壙・方形周溝墓・土器棺墓・前方後方形周溝墓が見つかりました。高地性環濠集落は、弥生時代後期に日本海側にも出現します。古津八幡山遺跡は現在のところ最北に位置する北陸系の高地性環濠集落であり、西日本を中心とする勢力の影響がこの地に及んでいたことを示しています。また、集落が途絶えた後の古墳時代前期には古津八幡山古墳が築かれています。
弥生時代後期から古墳時代前期にかけての社会情勢の変化を示す貴重な遺跡として、2005年に国史跡に指定されました。

防禦的集落(高地性集落・環濠集落)
越後平野では弥生時代後期になると、平地から30m以上丘の上に集落(高地性集落)が出現します。水稲耕作に不向きなことと、周囲を濠で囲んでいる集落(環濠集落)があることから中国の歴史書「魏志倭人伝」に書かれた「倭国乱」と関連づけて戦いに備えた防禦的集落と考えられています。越後平野では新津丘陵から長岡市にかけて平野を見下ろす丘陵上に多く発見されています。

金津丘陵製鉄遺跡群(8世紀~12世紀)
古津八幡山遺跡のある丘陵の麓から新潟県立植物園にかけての南北45m・東西650mの範囲で、製鉄炉7基や木炭窯20基以上、鉄くず9.5tなどが見つかっています。これらは奈良時代から平安時代の遺跡です。鎌倉時代の文献に使われた「金津」の地名はこの鉄づくりに由来するものです。当時、新津丘陵は蒲原郡のものづくり中心地でした。新津丘陵東側は須恵器・土師器という焼き物づくり、西側の金津丘陵では鉄づくりが行われていました。

 

弥生時代後期の遺跡に連続するように、古津八幡山古墳が造られています。

標高53m、駐車場からの比高差は45m程。