弁慶の岩屋を見た後は今回の墳行の二つ目のクライマックス、渋野丸山古墳へ。
徳島県最大の墳丘が吉野川から少し離れているのが意外な印象でした。
とくしま動物園の南東800mほど、県道209号(八多法花・はたほっけ線)のすぐ北側に立地。東側に自販機のある駐車スペースがありました。
見えていた説明板。5世紀前半の全長105mの前方後円墳です。
国指定史跡 渋野丸山古墳
平成21年(2009)2月12日指定
渋野丸山古墳は、徳島平野南部を流れる多々羅川左岸に位置し、低丘陵の先端部を切断して築造された前方後円墳である。徳島市教育委員会による発掘調査で、三段築成の墳丘、葺石、盾形を意識した周濠、造り出しが確認され、出土した円筒埴輪から5世紀前半(古墳時代中期)に造られたと推定される。現在墳丘一段目は完全に埋没しているが、発掘調査によって墳丘全長は105m、周濠を含むと118mの県内最大の前方後円墳であり、四国でも冨田茶臼山古墳(香川県さぬき市)に次ぐ第二の規模をもつこちがわかった。造り出し周辺からは船形埴輪や家形埴輪のほか、小型丸底壺、高坏、笊形土器などが出土しており、造り出しにおける祭祀に使用されたものと考えられる。
周濠や造り出し、埴輪列など畿内の大型古墳と共通する特徴を持つことや、渋野丸山古墳を最後に県内で前方後円墳が造られなくなることから、古墳時代の阿波と畿内の関係や、社会の変容を物語る重要な古墳である。
徳島市教育委員会
実測図部分。前方部の先端側がかなり削平されています。上が北。
説明板から振り返った東側。
説明板の後ろへは一旦下ります。
そこから右手、後円部裾を巡る路。
後円部に登る路があったので、まずはそちらへ。
上がった後円部墳頂。平坦で、草も刈られていました。
南の県道方向を。
北側斜面。
前方部への尾根筋。
鞍部から振り返った後円部。
その右(南)斜面。
鞍部から北側面の裾を。
前方部の先端(現在の)
振り返った東方向。
県道に降りて、広角で。
本来の前方部裾はもっと手前、後円部は右奥。
南側のくびれ部に造り出しを伴うとのことですが、このあたりでしょうか。
後円部を南側から。
もう一度、説明板へ戻って、墳裾を北へ回ってみました。
周濠に、山と積まれた竹の枝。整備される方々のお陰で安全に探訪できます。
小径は鞍部へ。
登りかけたところから前方部を。
もう一度、県道に出て墳丘を横目に戻りました。
(2023年10月中旬訪問)