池谷駅周辺の古墳を訪ねた後は、吉野川河口を超えた南側の渋野丸山古墳を目指しましたが、その南東の「弁慶の岩屋」にも足を伸ばしました。
古墳の名前もそうですが、周囲には源義経に関連する碑が複数あります。源義経が一の谷の戦い後に屋島に向かうのにここに上陸したと伝えられるそうです。
直線距離でも60㎞ほど、奇襲のためにかなり遠回りしたのですね。
丘陵の北東麓からアプローチしました。
岩屋への標識と、大きな石の標柱があります。
弁慶の岩屋
丘陵の中腹(ここより約50m)につくられた古墳で、自然の巨石を使用した横穴式石室である。須恵器や管玉が出土し6世紀後半の構築である。飽和29年徳島県史跡指定
手摺りのついた階段。
「義経ドリームロード」の表示。
史実と伝説が交わる場所 小松島市「義経ドリームロード」を歩く | 特集 | イーストとくしま観光推進機構
その標識先の斜面に、横穴式石室が露出しています。
その説明板。造られたのは義経・弁慶の時代からは600年以上遡ります…
史跡 弁慶の岩屋
昭和28年7月21日県指定
古墳時代後期に築造された古墳である。墳丘が流失し、横穴式石室が露出している。棺を収める玄室と玄室に至るまでの羨道を合わせた石室全長は徳島県下において五指に入る。石室は、1辺1.5mを超える近隣の石材が多く使用されている。古く破壊されていたため、出土遺物等は不明であるものの、被葬者は巨大な石室構造から周辺地域をおさめた首長墓と考えられる。
古墳の名の由来は、小松島市域の各所に残る源義経の上陸伝承に因む。
徳島県教育委員会 小松島市教育委員会
説明板の背後の様子。
玄室を石の抜けた側壁を透かして見ている形になります。
巨石で組まれた玄室内を側面外から観察できる機会は貴重では。
開口部側。巨大な天井石が落ち、一方に寄りかかています。
残念ながら立入禁止。確かに微妙なバランスで載っているので、地震が来たら落ちますね。
ライトをあてると奥壁が。
ズームで。見事な天井石です。
落ちている方も。
ぐるりと回って奥壁背面側から。
再び説明板の前へ。
そのあたりから北東方向。竹林で眺めは得られなかったです。
(2023年10月中旬訪問)