近鉄南大阪線の土師の里駅は、南に仲津山古墳、北に市野山古墳がそれぞれ後円部を駅側に向ける場所にあります。
駅の北側の道路を渡ると、すぐに見えてくる市野山古墳(允恭天皇陵)
墳丘長230mは全国19番目、古市古墳群では5番目の規模。同古墳群の墓山古墳(225m)との相似形だったのですね。
允恭天皇陵(市野山古墳)
藤井寺市国府1丁目
時代:古墳時代 中期後葉
古墳の形:前方後円墳
墳丘の全長:230m
出土したもの:円筒埴輪、形象埴輪、須恵器
墳丘は3段に築かれ、両側のくびれ部に造り出しが設けられます。墓山古墳ときわめて近い平面形で墳丘が造られており、相似形に企画された可能性が高いです。築造時は二重の周濠でした。降りからは円筒埴輪のほか、多様な形象埴輪が出土しています。また、内堤の盛土からは5世紀中頃の須恵器が出土し、墳丘の築造時期の一端を示しています。周囲には多数の陪塚が配されています。
平成28年3月
墓山古墳は長軸東西ですが、市野山古墳は南北軸。
後円部を金網の上から。
左(西)を見て。
右(東)を見て。
陪塚の残る東側から一回りすることにしました。
2つの陪塚(次回エントリ)を見た後、前方部脇の堤上の路へ。
フェンスに突き当たって左(南)、後円部方向。
右(北)、前方部先端方向。
北側の前方部裾の濠には水が溜まっていました。
前方部端の様子。
墳丘の東側面を見通せる場所がありました。手前が前方部左裾で奥が後円部。
拝所は前方部先端側の中央にありますが、そこに至る小径の入口は西側の県道20号沿いでした。
小径から墳丘側には立ち入れませんが柵は無く、墳丘との近さを感じられます。
墳丘の西側面。奥が後円部ですが、くびれ部がよくわかります。
高札のもとに到着。
民家に挟まれていますが、静かな拝所でした。
スマホ広角で。