墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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芭蕉塚古墳 京都府城陽市平川茶屋裏

「まいまい京都」の久津川古墳群探訪ツアー、最後の訪問地は芭蕉塚古墳でした。

 

久津川車塚古墳を見学した後、西に隣接する奈良街道を北へ進み始めた右手に、梶塚古墳跡。

 

こちらのお宅等数軒の下が梶塚古墳とのこと。墳丘としては残っているので”跡”ではないですね。

 

芝ヶ原古墳公園にあった立体復元模型がわかりやすかったので再び。

左が久津川車塚古墳、その右(北)の方墳が梶原古墳(南東角が久津川車塚古墳の堤を削っています)、その右が芭蕉塚古墳。ツアーでは訪ねなかったですが、右端の青塚古墳も墳丘の一部が残っています。

 

梶塚古墳の解説

梶塚(かじづか)古墳
5世紀前半に築造された64m×61mの大型の方墳です。久津川車塚古墳に接して築造されており、久津川車塚古墳の被葬者の地域支配を補佐した即今の墓と考えられます。(現在は住宅地となっており、現地で古墳を見ることはできません)

 

青塚古墳の解説

青塚古墳
5世紀中頃に築造された一辺35m以上の方墳です。芭蕉塚古墳の被葬者の地域支配を支えた有力者の墓と考えられます。現在は墳丘の一部が保存されています。

 

立体模型で気になった西山古墳群(模型写真の左下丘上)の解説も一応。

西山古墳群
4世紀後半に築造された前方後方墳1基、前方後円墳1基、方墳1基、円墳4基の7基からなる古墳群です。1号墳は全長82mの前方後方墳で、西山古墳群最大の規模をもつことから地域の有力者の墓と考えられます。(現在は住宅地になっており、現地で古墳を見ることはできません)

 

芭蕉塚古墳に到着。手前はもとはスーパーイズミヤの駐車場でしたが、イズミヤはもうありません。

 

説明板は”小屋”の後ろに。墳丘長114mの前方後円墳です。

国指定史跡 芭蕉塚古墳
芭蕉塚古墳は二段に築かれた前方後円墳で、周囲には周堀がめぐります。墳丘の東西両側には造り出しがあります。墳丘の長さは114mで、周濠を含めた全長は161mあります。後円部の直径は62.7m、前方部の長さは51.5m、前方部端部の幅が61mあります。墳丘二段目は開墾などにより削られており、本来の墳丘の高さはわかりませんが、約10mと推定されます。周濠の幅は11.4m~15.5mあります。
墳丘斜面には葺石が施され、墳丘一段目平坦面や造り出しには埴輪列がめぐります。また、周濠の上縁から約10m外側には約3.4m~4m間隔で円筒埴輪が据えられています。この埴輪列により古墳の範囲(墓域)を区画していると考えられます。
埋葬施設は、南北方向の粘土槨です。北側の小口部分を確認したにすぎないため、正確な規模はわかりませんが、幅は約1.5mあります。粘土槨は大規模な盗掘をうけており、盗掘坑から鉄製の甲冑片や形象埴輪片が出土しました。鉄製の甲冑片は副葬品の一部と考えられ、形象埴輪片は墳頂部に並べられていたものと考えられます。
埴輪は、円筒埴輪・朝顔形埴輪・壺形埴輪・形象埴輪が出土しています。形象埴輪は家形埴輪・蓋形埴輪・靫形埴輪・盾形埴輪・甲冑形埴輪・囲形埴輪があります。特に囲形埴輪は、東側くびれ部の墳丘裾部に据えられた状態で出土しました。底部が残っていたにすぎませんが、長さが約64㎝、幅が約44㎝、残存する高さが約12㎝あります。出土した埴輪から、5世紀中頃に築造されたと考えられます。
城陽市教育委員会

 

”小屋”のあたりから北を。前方部右裾から後円部方向を見ていることになりますが…

 

竹やぶの中にかすかに墳頂のラインが。

 

前方部先端側は塀が途切れていますが、「立入禁止」の大きな看板あり。

 

説明板の脇に被葬者の”キャラクター”看板もありました。

芭蕉塚古墳 - Wikipediaには、墳丘上の写真が掲載されています。

 

以上で、”古墳ツアー”は終了です。

初めて訪ねたエリアでしたが、「京都旅屋」代表の吉村晋弥 さんのわかりやすいガイドのおかげで理解が進み楽しく歩きまわることもできました。誠にありがとうございました!