墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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昼神車塚古墳 大阪府高槻市天神町

今城塚古墳にご挨拶した後は、東北東に2㎞ほどの昼神車塚(ひるがみくるまづか)古墳へ。

 

まずは西隣の上宮(じょうぐう・うえのみや)天満宮へ参拝。

 

主祭神は菅原道真命ですが、武日照命(たけひなてるのみこと)、野見宿禰命(のみのすくねのみこと)も祀られています。

 

駐車場脇の山門から参道を降りて左に登ると昼神車塚古墳がありますが、その山門の東隣の「宿禰塚古墳」は気づかずにスルーしてしまいました…

 

左に曲がると、トンネルの上に墳丘が見えてきます。

 

高槻駅から徒歩6分の近さに残る墳丘。


柵の間から標柱を。

 

柵で囲まれしっかり施錠されています。

 

説明板もありました。

昼神車塚古墳
天神山は「ひるがみ山」ともいい、車塚は前方後円墳の俗称である。この古墳は天神山丘陵の南端にあり、同じ
丘陵の東縁にある中将塚・野見宿禰の墓と伝えられる宿禰塚などと一連のもので、この東から南にひろがる豊かな平野を支配した首長たちの墓である。
この車塚古墳は6世紀中ごろまでにつくられたと推定される。およそ全長60m・前方部の幅40m・後円部の径35mで、前方部は後円部よりやや高くつくられ、新しい特徴をそなえている。
1958年に府道枚方ー亀岡線のバイパスが計画さされた前方部について、1976年に調査がおこなわれた。現在みる前方部はトンネル建設のため、いったん掘り下げ、調査結果にもとづいて復旧したものである。
墳丘は丘陵南端につくられた弥生時代の墓地のうえに、高さ約4.5mの盛土をおこなっている。その断面にあらわれた盛土の状況をみると、下半部は台状の核を包むように土を盛り、一度地ならしをしたあと、再び上半部を同様の工程で築いている。そのあとで、上段・中段・下段のテラスをつくり加えている。上段のテラスには人頭大の河原石を敷き、中段のテラ。スには埴輪を2列にならべていた。それらはあたかも古墳を守るかのように巫女が立ち、また、牙をむきだしたイヌたちが、たてがみをふりたてるイノシシを追いつめ、そして、角笛を吹いている猟師の姿などに古代の狩りの情景をうかがることができる。
特に、このように再現したのは、古墳のありし日の姿を知るためと、再びみることのできない祖先の遺産を大切にしたいとねがったからである。
なお、昼神車塚古墳は現在も、上宮天満宮の神域として守り伝えられている。
1980年3月 大阪府教育委員会 高槻市教育委員会

 

実測図部分、左が北。左下が現在地、前方部の右下隅です。

 

前方部先端側から見上げて。

上記のちょっと左あたりに復元埴輪があるのに見逃してしまいました。草で見えなかったのかもしれません。

昼神車塚古墳 - 高槻市ホームページ

昼神車塚古墳 | スポット検索 | 高槻市観光協会公式サイト たかつき

 

obitoさんのサイトによれば、前方部は県道工事で一度消滅した後、トンネル上に復元されたそうです。前方部中段で、猪一頭を狩人と犬二頭で追う形象埴輪列が出土し、前方部テラスにその様子が復元されているとのこと。埋葬施設は未調査、6世紀前半~中頃の築造とのこと。

大和國古墳墓取調室