墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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弁天山古墳(弁天山古墳群B1号墳) 大阪府高槻市南平台

高槻市埋蔵文化財調査センターの建物脇に説明板があったので、現地へ向かいました。。

弁天山古墳群(3世紀後半~5世紀前半)
弁天山古墳群は南平台丘陵上にあって、大阪府下でも有数の規模を誇る古墳時代前期~中期にかけての10数基からなる古墳群です。とくに前期の3基の前方後円墳(弁天山A1・B1・C1号墳)が順次造営され、主帳簿の系譜がうかがえる貴重なものです。現在はA1号墳(岡本山古墳)とB1号墳(弁天山古墳)をのこすのみです。
昭和38年夏、弁天山1号墳の調査を実施したところ、墳丘全面を川原石で葺き、楕円形や円筒形の埴輪を並べていたことが判明しました。また、後円部には竪穴式石室と粘土槨、前方部には粘土槨の埋葬施設があり、竪穴式石室には銅鏡3面をはじめ、碧玉製の腕輪類や合子、管玉等が副葬されていました。
弁天山古墳の被葬者は、古墳から見下ろすことができる淀川北岸に勢力をもっていた「三島の王」とみられ、彼らの系譜はその後、郡家車塚古墳、前塚古墳へ引き継がれ、淀川北岸地域の王権の系譜が読み取れます。周辺には墓谷古墳群、尼ヶ谷古墳群、史跡今城塚古墳などが展開しています。弁天山古墳は、三島の古代史を形成するうえで重要な位置を占める歴史遺産です。
平成14年1月 高槻市教育委員会

 

「三島の古代史を形成するうえで重要な位置を占める歴史遺産」は、ぜひ見なくてはと思ったので。

同じ丘陵の麓の今城塚古墳から北西に1㎞弱、近いですね。

 

グーグル先生の誘導で住宅街の一画に。

 

急な階段を上がると水道施設で鉄条網。


墳丘は、建物の後ろの木立あたりでしょうか。

 

階段を見下ろして。

 

階段上からの眺めは良かったです。

 

その丘を横目に回り込みます。

 

さきほどの「住宅案内図」にあった通路に出ました。

 

通路の左側の谷は、通路を造成して出来たものか、或いは…。


想像を巡らしながら進むと、やはり立入禁止でした。上水施設は一番大事ですからね。

 

改めてグーグルマップで”古墳”と入力すると山ほど出てきたので、「いつか再訪」と心に決めて阿部山古墳へ向かいました。