高槻市埋蔵文化財調査センターの前庭には、2基の円墳が移築されていました。
建物側から。
回り込んで、開口部を。
塚脇古墳群から移築された横穴式石室です。「つくり方」の解説も。
横穴式石室
横穴式石室は、外部に通じる出入口をそなえた石室をいう。朝鮮半島から伝わり全国に普及した墓の形式で、古墳時代後期の一般的な埋葬施設である。
ふつう玄室(主室)と羨道(通路)からなり、棺や副葬品は玄室に納められ、羨道入口は後に追葬をおこなうため石を積み上げて閉鎖していることが多い。2~4人以上が埋葬されていることがよくあり、家族墓とみられている。
この石室は、脇塚古墳群から昭和52年に移築復元されたものである。出土遺物や石室の規模などから、7世紀初め頃につくられ、順次4人が葬られたものと推定されている。
平成元年10月 高槻市教育委員会
縦長の開口部。
中は「天窓」ありで、見学しやすく。
奥壁を背に。
天井石を。復元とは思えない”復元技術”。
敷地内に、もう一基。
塚脇D1号墳です。
塚脇D1号墳
塚脇地区の最奥部にある、帯仕山(おびしやま)の山頂付近(標高192m)につくられた一辺約5mの小さな方墳で、塚脇古墳群のなかでは最高所に位置しています。
墓室は小型の横穴式石室で、わざわざ芥川から運び上げた河原石を用いて組み上げています。
副葬品として7世紀前半の食器類が出土しており、もっとも新しい時期の古墳として貴重なものです。
立入禁止なのでズームで。