墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

近つ飛鳥風土記の丘(一須賀古墳群)その5 寛弘寺45号墳(移築)・B9号墳・B7号墳 大阪府南河内郡河南町東山

展望台から降りてきて園路を博物館方向へ進むと、すぐ右手に巨石の石室遺構があった。 移築された寛弘寺(かんこうじ)45号墳。

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開口部側から。

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玄室内で奥壁を。立った位置から撮っています。

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振り返った開口部。

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近くにあった説明板によれば、元の場所は南西3㎞にある寛弘寺古墳群。

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I-19号・20号墳は見逃したので次の機会に。

寛弘寺45号墳の解説は下記のとおり。

寛弘寺45号墳
ここから南西約3㎞のところにあった河南町寛弘寺古墳群から移築した横穴式石室です。天井石はすでに盗まれていましたが、側壁や奥壁などはよく残っていました。石室の全長は9.7mで、平滑に仕上げた花崗岩の大型石材を積んだ巨石墳です。石材やその積み方から、7世紀前半に築造されたと思われますが、この時期ではわが国で最大級の横穴式石室です。また石室の周囲には排水溝がめぐるという珍しい構造をもっていました。 

 

そのすぐ先に、大きな家形石棺を擁した石室が。 

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説明板によればB9号墳。下の解説は読めない部分があるが、上のクイズの文から想像すると、「石棺は復原」と書いてあるのでしょう。

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B9号墳と石棺
この横穴式石室にはかつてこのような家形石棺と組み合わせ式の木棺がおかれていたようです。なおこの石棺は6世紀末の形式で竜山石で復原(?)したものです。

 

現地では、石棺はオリジナルだと思っていました。

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ここの側壁も巨石。

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墳丘上側から。

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奥壁側から。石室をつくってからでは運び込めない大きさでは(蓋をはずして90度横にすれば入るのか?)

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その近くに、B支群全体の解説板があった。上記のB9号墳は一辺25mの方墳であるとのこと。

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B支群
支群全体で18基の古墳があり、このうち内容のわかるのは10基です。尾根の上に一列に並んでいますが、地形や古墳の形から三つのグループに分けられます。各グループとも6世紀の中頃に作られ始め、だんだん古墳の数が増えたことがわかっています。
古墳には1つの石室があります(12号墳だけ2つ)。それぞれの石室には棺をおいた痕跡が1~4つあります。ほとんど木の棺ですが、4基の石室では最初の1つだけが石の棺でした。その材料は凝灰岩という二上山付近でとれる石です。石の棺に葬られた人は社会的にとくに重要な人だったことがうかがえます。
古墳の大きさ 円墳の直径 各12~15m
       方墳の一辺 各12m(9号墳だけ25m)
石室の奥行 5.3m~8.5m
副葬品(死者とともに納められたもの)
・おもに食器とイヤリング
・10基のうち5基から米を蒸す道具のミニチュア(これの多いのが一須賀古墳群の特徴)
・2基から鉄の矢じり(14・15号墳)
・1基から馬に付ける金具(15号墳)
平成2年3月 大阪府教育委員会

 

前回のB16号墳からB支群沿いに降りてくる道もあったようだ。ずいぶんと遠回りしてしまった。

 

園路をはさんでB7号墳が。 

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国指定史跡 一須賀古墳群 B支群7号墳
7号墳はB支群の中ほどに位置する古墳です。直径12m程度の円墳で、横穴式石室を埋葬施設にしています。鉄釘と鎹(かすがい)が出土しており、木棺が用いられていたと考えられます。石室は天井石が持ち去られ、基底部しか残っていませんが、豊富な副葬品が出土しました。金製・銀製の耳環や、それに付けた金製の垂飾り、琥珀玉やガラス玉のような多彩な装身具が注目されます。
大阪府教育委員会 近つ飛鳥博物館

 

羨道側から。

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玄室脇から。側壁高は1mも残っていない感じだった。

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