墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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千崎古墳群(前編) 熊本県上天草市大矢野町維和

墳行2日目は宇土半島から回りました。その先の維和島(いわじま)の北端にピンが立つ千崎古墳群から。

熊本ICから車で1時間20分で到着。この時点で午前6時半でしたが、11月でまだ暗かったです。

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千崎古墳群
上天草市指定文化財 史跡
千崎古墳群は維和島の最北端の海に突き出した千崎の丘陵上に位置しています。古墳は丘陵頂部から稜線に位置しています。
箱式石棺墓、横穴式石室墓などが26基確認されており、人骨や副葬品が出土しています。
5号墳(横穴式石室墓)では勾玉や臼玉が出土し、追葬の痕跡や赤色顔料が確認されています。古墳時代中期前半ごろの築造と推定されています。
10号墳(箱式石棺墓)では、棺内で赤色顔料と石灰藻が確認されており、棺外からは鉄製ミニチュア農工具が出土しています。古墳時代前期後半から中期前半の築造と推定されています。
令和元年7月 上天草市教育委員会

 

宇土半島の先端で橋を渡って大矢野島へ、さらに2つ橋を渡って維和島へ。


細長い丘陵上に26基の古墳が並びます。

 

上天草市のサイトによれば、国の内外との交易で活躍していた海人(あまびと)が、海を見渡せる千崎丘陵に造営したと考えられ、天草諸島の古墳時代の社会構造や、八代海沿岸地域との関連などを解明する手がかりとして貴重とのこと。

千崎古墳群(せんざきこふんぐん)|上天草市

 

確かにこのあたりは八代海から島原湾を経て、有明海や天草灘へ抜ける海峡にあたる、海上交通の要衝ですね。

 

思いのほか古墳の数が多いのと、思ったより暗い(写真では空が明るく写っていますが、実際はライトが無いと進めない状況)ので、ひるみましたがここまで来たので丘陵上へ向かいました。

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丘陵を登っていくと、尾根上に箱式石棺が。

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左が9号墳、右が10号墳。

 

10号墳の解説。(9号墳のものは見当たりませんでした)

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千崎古墳群 10号墳
10号墳は、千崎丘陵の東に突き出た東尾根に6基ある古墳の中のひとつです。
この古墳では、9号墳と同じく、石を組み合わせた箱型の棺の中に亡くなった人を埋葬する箱式石棺の中でも、石材の精緻な加工が特徴の「千崎式箱式石棺」が利用されています。
発掘調査によって、棺内から成人男性2体と成人女性2体の人骨が出土しています。また、棺の内面には赤色顔料が塗布され、棺の底には石灰藻の粒が敷かれていたことが確認されています。
棺の外にはテラス状の段がつくられており、そこから鉄製のミニチュア農工具が出土したことから、祭祀行為が行われていたと考えられます。
10号墳は、9号墳の後に築造されたことが発掘調査で明らかとなっており、出土した遺物から、古墳時代前期後半から中期前半の築造と考えられています。

 

さらに登って8号墳。

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箱式石棺です。こんな野ざらしで千数百年も!

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千崎古墳群 8号墳
8号墳は千崎丘陵の東に突き出た東尾根に6基ある古墳のひとつです。
この古墳は箱式石棺という意志を組み合わせた箱型の棺の中に亡くなった人を埋葬する古墳です。箱式石棺の中でも、精緻な加工が特徴の「千崎式箱式石棺」が利用されています。

 

次々と、A4の説明が出てきてオリエンテーリング状態。

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千崎古墳群 7号墳
7号墳は千崎丘陵の東に突き出た東尾根に6基ある古墳のひとつです。
発掘調査が行われていないため、古墳の詳細はわかっていません。
残っている石材の状況から横穴式石室墳であると考えられています。
また、使われている石材の大きさなどから、千崎古墳群の中では最大規模の横穴式石室墳である可能性があります。

 

そして6号墳。


6号墳
6号墳は、千崎丘陵の東に突き出た東尾根に6基ある古墳のひとつです。
破壊されてしまっているため、古墳の詳細は不明です。現在残っている石材の状況から、埋葬施設に石棺をもつ古墳であったと考えられています。

 

横穴式石室をもつ5号墳。

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千崎古墳群 5号墳
5号墳は、千崎丘陵の東に突き出た東尾根に6基ある古墳のうち、最も西にある古墳です。
この古墳は横穴式石室墳という、石室(石を積み重ねるなどして被葬者を埋葬する部屋をつくる)と羨道(横から石室に出入りするための道)をもつ古墳です。古墳の上部は破壊されており、天井部分に使われた可能性のある大きな石が石室や羨道に落下していました。石室と羨道が繋がる部分の横幅は約30㎝と非常に狭くなっています。
発掘調査によって、勾玉と臼玉が出土しており、埋葬状況から、初めに埋葬された人物の後に別の人物を埋葬(追葬)したと考えられています。
古墳の築造時期は、古墳時代中期前葉から中葉と考えられています。

 

検索すると、熊本大学による2007年度、2008年度の調査時のブログに行き当りました。埋め戻される前の、しっかりした石室の様子や、発掘調査時のリアルな雰囲気が伝わってきます。

2007年9〜10月の上天草市千崎古墳群発掘調査

2008年8〜9月の上天草市千崎古墳群発掘調査

 

11号墳は、おそらく標高が一番高いところ。

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千崎古墳群 11号墳
11号墳は、千崎丘陵の北尾根にある古墳の中でも最も南に位置し、東尾根、南尾根との分岐点にある古墳です。
埋葬施設に箱式石棺をもつ古墳で、棺の中から鉄剣、鉄斧、玉が出土したといわれています。

 

開けた西側に、月が見えました。

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水墨画的な眺めにしばし見とれて。

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ここから直角に右(北)に折れて進みます。左に分かれる尾根上に1~4号墳があるようですが道が見えず。

 

こちらは北に進んで12号墳。

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千崎古墳群 12号墳
12号墳は、千崎丘陵の北尾根にある古墳です。残っている石材の状況から、埋葬施設に石室を持つ古墳であると考えられています。

 

13号墳は、箱式石棺がしっかり残っています。

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千崎古墳群 13号墳
13号墳は、千崎丘陵の北尾根にある埋葬施設に箱式石棺をもつ古墳です。
発掘調査によって、棺の中からガラス小玉、刀子片が出土し、棺の外から鉄剣が出土したとされています。

 

最初の説明板のマップ。下の10号墓から上がって11番で右に折れ、13番まで来ました。

つづきは次回で。