墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

画像が出ない場合はPCで、クロームOSでお試しください。

横山古墳(移築復元) @肥後古代の森(鹿央地区) 

肥後古代の森・鹿央(かおう)地区には、12㎞ほど南東から移築された横山古墳もあります。寒原古墳と馬不向古墳との間の坂を下りて行った左側。

 

全長40m弱の前方後円墳。

昭和43年、九州自動車道建設に伴い「発見」された古墳だそう。

f:id:massneko:20220131141508p:plain

 

石室には装飾文様のある石屋形がありますが普段は閉鎖。

f:id:massneko:20220131141610p:plain

 

詳細な説明板。

f:id:massneko:20220131141521p:plain

f:id:massneko:20220131141538p:plain

横山古墳
古墳の所在地
移転復原前の横山古墳は、鹿本郡植木町大字有泉字横山にありました。この場所は、植木町の東部にあたり、古墳は小丘陵の端に位置していたものです。現在、九州自動車道の敷地となっています。近くには町指定の「小野の泉水」があります。


古墳の時代
この古墳が造られた時代は、石室の構造や出土遺物から、古墳時代後期(6世紀後半)頃と考えられます。石屋形、左右両屍床のほか、通路等にも多量の人骨が埋葬されていましたので、この古墳がかなり長期間にわたって使用されたことがわかります。

 

f:id:massneko:20220131141555p:plain

墳丘
墳丘は、調査時の計測では長さが39.5m、前方部の幅19m、高さが3m、後円部の直径29m、高さ5mの、小型の前方後円墳でした。
築造当時と比較して明らかに変形していると考えられる箇所については、今回の復原の際、修正を加えました。

 

移転復元の経過
横山古墳は、昭和43年、九州自動車道建設に伴う埋蔵文化財調査の際、植木町で発見されたものです。
昭和44年、県教育委員会では「横山古墳調査団」を組織し発掘調査を実施しました。調査終了後、古墳の石材は、将来、完全復原をするために保管してまいりました。それから24年後の平成5年、この古墳は、肥後古代の森(鹿央地区)の一画に適所を得て、復原が実現したものです。


石室
石室は後円部にあり、入口は西に設けられています。入口から長い羨道(通路)が続き、その奥に玄室が設けられています。玄室は石灰岩や安山岩を積み上げて造られ、一辺が3.8mの隅丸のほぼ正方形をしています。
正面には石屋形が設けられ、中央の通路を挟んで左右に板石で仕切って造った屍床があり、石屋形前には灯明台のようなものが造りつけられています。

 

説明板の地図をグーグルマップで確認すると、元の位置は12.5㎞南東。「鬼のいわや古墳」が残る丘の東端になると思います。

装飾文様
装飾は、石室の奥に設けられた石屋形の袖石等によく残っています。石屋形の右袖石には、上部に同心円文が、下部に双脚輪状文、周囲に三角文等が、赤・青・城の顔料を使って描かれています。また、左袖石には連続三角文が同様の顔料を使いに列にわたって施され、上部には双脚輪状文が描かれています。
この他、屍床の仕切石にも赤・青・城の顔料で三角文等が施されています。

 

出土遺物
発掘調査の結果、古墳の内外から多数の遺物が発見されました。古墳築造時の副葬品としては、多数の須恵器をはじめ、鉄製品(馬具・武具・鏃・刀子)、装身具(玉類)等、総数二百数十点が出土しています。

 

前方部右隅側から。

f:id:massneko:20220131141640p:plain

 

前方部角の稜線。高さは4mぐらいでしょうか。

f:id:massneko:20220131141650p:plain

 

昨年の令和4年では11月23日に公開があったので、今年もあるまかも知れませんね↓(その際は、1か月前から先着で受付)

秋の横山古墳特別公開が決まりました!|企画展・イベント| 【公式】熊本県立装飾古墳館

 

その後、二子塚古墳の北側の崖下にある岩原横穴のほうへと向かいました。

下りてきた階段を振り返ったところ。

f:id:massneko:20220131141832p:plain

 

そのあたりにあった解説。範囲が広い!

f:id:massneko:20220131141903p:plain

長岩横穴群(県指定史跡・昭和34年12月8日指定)
装飾横穴6基を含む118基の横穴群。

岩原横穴群
装飾横穴8基を含む6郡131基の横穴群。
駐車場の西側の横穴群が第1群で、14・15・23・32・38・39号に装飾がある。

岩原古墳(国指定史跡・昭和33年1月29日指定、昭和59年10月8日追加指定)
主墳の双子塚古墳(前方後円墳・全長102m)・下原古墳・馬不向古墳・寒原古墳・寒原2号古墳・狐塚古墳・無名の古墳3基 合計9基からなる。
地元で「四十八塚」とも呼ばれ、小字も「塚原」と言われるとおり。数多くの古墳があったことがうかがわれる。

 

そこから先は、もっと降りる必要があり、日も暮れてきたので次の機会としました。

f:id:massneko:20220131141843p:plain

装飾古墳館のサイト(の下段のほう)に横穴群の遠望写真がありました。

岩原古墳群| 【公式】熊本県立装飾古墳館

 

OBITOさんが現地を訪ねられていますが、見学は困難で危険を伴う様子です。

大和國古墳墓取調室

 

装飾古墳館は戻る際、古墳見学されていたご家族の後ろになりました。

f:id:massneko:20220131141725p:plain

 

建物前の広場も、まだ親子連れで賑わっていました。(2021年11月上旬訪問)

 

エリアの一画には「はにわ広場」もあります。岩原古墳群の見学前に撮影。

ここで墳行初日の見学終了。宿はHOTEL AZ 熊本インター御領店にとりました。