墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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鍋田横穴第27号墓 熊本県山鹿市鍋田

チブサン古墳の墳丘を見た後は、公園入口にある山鹿市立博物館を見学しようと思って戻ってきました。

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玄関前で臼塚石人のレプリカに歓迎されましたが、博物館は休館中でした(2021年11月上旬訪問)

 

こちらのサイトに館内写真があります。

山鹿市立博物館 | 観光スポット | 【公式】熊本県観光サイト もっと、もーっと!くまもっと。

 

博物館の前には全国第二位の用水橋・大坪橋が移設復原されています。なんという石橋愛、郷土愛、土木愛(石ですが)

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さらにその近くの斜面には熊本県の

熊本県の装飾古墳
装飾古墳概要
装飾古墳は古墳時代の5世紀後半~7世紀ごろ、石室、石棺、横穴墓に三角文・円文などの幾何学文様や船・馬・人物・武具などの具象画を彩色・線刻・浮彫などで描いたものである。
菊池川流域、宇土半島、八代平野に集中し、全国第一の文化圏を形成している。
書記の装飾古墳は宇土半島から天草地方に、全盛期の具象画は県北に、円文は八代地方に分布している。
代表的なものに大坊、チブサン、弁慶ヶ穴、釜尾、千金甲1号、井寺、小田良などの古墳、石貫穴観音、石貫ナギノ、鍋田、長岩、大村などの横穴群がある。
装飾古墳の分布および主な文様は右に示したとおりである。

用語解説
靭(ゆぎ):矢を入れて背負うもの
鞆(とも):弓を射るとき左のひじにつけるもの
盾:弓、やりなどを防ぐもの
直弧文:直線・弧線で描いた文様
双脚輪状文:同心円や輪状文に蕨手文をつけた文様

 

 

 

7、8カ所の横穴墓の石彫装飾が点々と展示されていましたが、下記はそのうちの鍋田横穴(なべたよこあな)

大きな四角は実際は穴で、穴の右壁は崩壊前を復原しています。

国指定史跡 鍋田横穴
27号左外壁に浮彫りされている盾・弓矢・刀子・靭・鞆・弓・剣又は槍・人物・馬。
現在27号右外壁は崩壊しているが、矢野一貞が「筑後将士軍談」(嘉永6年・1853)に記録した図面によって復元した浮彫の靭・大刀又は剣・人物。

 

実際の鍋田横穴は博物館から700mほど南東、国道443号沿い、岩野川沿いの崖面に残っています。

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現地説明板あります。

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国指定史跡 鍋田横穴(なべたよこあな)
所在地:山鹿市鍋田1番地2ほか
指定日:大正11年(1912)10月12日
古墳時代の終わり(7世紀)ごろに造られたとされるお墓です。
岩野川沿いと国道443号沿いの崖に合計61基が確認されています。そのうち16基には、内部に線を彫って付けられた模様や、入口のそばに武器を浮き彫りした装飾が見られます。
なかでも27号横穴は、数多くの装飾があります。人物、武器(弓矢、鞆~弓を使うときの道具、靭~矢を入れる道具、盾)、刀子、動物
(馬か?)が浮き彫りされています。
横穴の内部はおよそ2m四方の広さで、高さ約1.5mでドーム状の天井のものが大半です。当時はそこに遺体が安置されていました。人骨や装飾品はみつかっていません。
国内の装飾のある横穴を代表するものとして、国の史跡として指定されています。
山鹿市教育委員会

 

こちらがその27号横穴。壁画はこの左。中央から右は崩落しています。

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左はしっかり残っています。

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右から人物、中央に靭、左は盾。

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剣を持っていますが、顔は優しくみえる人物。剣の左には弓、その左に鞆も。

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こちらが靭。

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こういう感じで矢を背負うものですね。@京都大学博物館

 

こちらは盾。

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野ざらしにもかかわらず、しっかり残っていることに感動しました。

この後に訪ねた熊本県立装飾古墳館にもレプリカが。

 

その解説。わかりやすかったです。

鍋田横穴群第27号墓 7世紀
山鹿盆地の西北、平小城(ひらおぎ)台地の南崖には城地区46基、付城(つけじろ)地区96基、鍋田地区60基等の横穴群が密集している。中でも著名なのが鍋田横穴群27号墓である。入口の右側は崩落しているが、古く嘉永2年(1849)の矢野一貞のスケッチによると、この部分にも靭や大刀や人物像が描かれている。展示資料は入口の外壁に施されたもので、すべて浮彫りである。1は弓をもつ人物で墓室を守る人であろう。2は矛先、3は鞆、4は大きな靭、5は小さな靭、6は鎌、7は矢をつがえた弓、8は盾、9は馬である。以上のように文様も豊富で装飾のある横穴の代表例である。

 

大規模な横穴群ですが、27号墓から奥の方への道は竹やぶで閉ざされていました。

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背後の東側は目の前が岩野川。右の下流側で、すぐに菊池川と合流します。

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