墳丘からの眺め

舌状台地の先端で、祖先の人々に思いを馳せる・・・

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みよし風土記の丘・その1(ファミリーコース) 広島県三次市小田幸町

みよし風土記の丘は前回の糸井大塚古墳の1.5㎞北にあります。

歴史民俗資料館を併設した大規模古墳公園で広い駐車場も完備。

グーグルマップで検索した七ツ塚古墳群と浄楽寺古墳群を訪ねるために来ましたが、ひとつの古墳公園内に保存整備されていることは、来て知りました。

 

駐車場近くのマップを一見して、これは少し時間がかかるかもと感じましたが、この時は右上の「古墳数」の表は見ておらず、後に“修行”のようになってしまうとは予想しておらず。

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入ってすぐは、ピクニック的雰囲気のなだらかな丘。

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このあたりを巡るファミリーコースが設定されています。

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園路にそって進むと、移築された横穴式石室が。

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精密に加工された切石で組まれています。

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庄原市にあった篠津原第3号古墳でした。

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篠津原第3号古墳の横穴式石室
飛鳥時代の中央政府と広島県北部との関係を示す
この横穴式石室は、庄原市高町の篠津原第3号古墳で見つかったものを移築・復原したものです。
石室は長さ3.1m、幅・高さともに1.2mで、石材を割ったり削ったりして方形に加工した花崗岩の切石を使用した切石造りとよばれる珍しい横穴式石室です。
古墳は円墳で大きさは直径約11m、高さ約1.5mです。
切石造りの横穴式石室は、飛鳥時代(7世紀)に近畿地方を中心に皇族や官僚の墓としてあらわれる終末期の古墳に特有の横穴式石室です。
広島県内では備後南部で数例見られますが、備後北部では唯一のもので、どのような人物の墓なのか興味が持たれます。
石室の特徴や見つかった須恵器などから、7世紀の終わり頃(飛鳥時代)に造られたものと考えられます。

墳丘もうまく再現されているように思えました。

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その先の園路右手には竪穴式石室も移築復原されています。

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その解説板。

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広島県史跡 酒屋高塚古墳の竪穴式石室
古墳時代中期の大和王権と広島県北部との関係を示す
この竪穴式石室は、三次市西酒屋町の酒屋高塚古墳で見つかった第2号石室を移築・復原したものです。
古墳の大きさは全長46m(推定)、高さ7mの帆立貝形古墳です。
第2号石室は長さ2.7m、幅・高さとも約0.8mの竪穴式石室です。石室内に箱形木棺を埋納した後、上部に蓋石をのせていました。
石室内からは鉄剣やメノウ製勾玉・ガラス小玉、鉄釘などが見つかりました。
また、第2号石室の隣の第1号石室(竪穴式石室)からは、大和政権から与えられたと思われる画文帯神獣鏡なども見つかっており、古墳時代中期(5世紀)に造られたものを考えられています。
出土品(一部レプリカ)は、みよし風土記の丘ミュージアムにて展示しています。

 

蓋石も置かれていました。

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その先の園路沿いに3つ並んだ石積み。

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箱形石棺でした。

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宗祐池(むねすけいけ)西遺跡の箱形石棺
広島県北部で弥生時代後期から続く埋葬方法
この箱形石棺は三次市南畑敷町の宗祐池西遺跡で見つかったものを移築・復原したものです。
箱形石棺は、通常四方に板石を立て並べて棺を作り、死者を埋葬した後、その上を板石で蓋をします。しかし、この箱形石棺は、四方に小型の石を積み上げて作られており、その構造が竪穴式石室によく似ているのが特徴です。
埋葬方法は、死者を石棺内に直接埋葬したものと考えられ、小型のものは子ども用の石棺と考えられています。
これらの石棺は、周辺から見つかった須恵器などから、古墳時代終わりの6世紀末~7世紀前半ごろに造られたものと考えられます。

 

崩れないように一部コンクリで固めての復原です。

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さらに進むと移築民家も。重要文化財の旧真野(しんや)家住宅。

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江戸初期にさかのぼる建物だそうです。この日は閉まっていました。

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さらに進むと、古墳時代の復原建物エリアに。

こちらは高床式建物。妻側の軒を張り出させています。

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入り口が角にある竪穴式住居。

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こちらの大型建物は、萱葺きの壁と屋根が分離してきている雰囲気。

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説明板です。

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古墳時代の復原建物
古墳時代の代表的な3つの建物を復原したものです。竪穴住居は、当時のもっとも一般的な住居です。地面に竪穴を掘って床を作り、穴の上に木材を組んで、上から藁などの植物をかぶせて屋根にしました。この住居は三次市松ケ迫遺跡群の住居跡を参考にしたもので、中央には火を焚くための炉を、壁ぎわにはカマドを設けています。
高床建物は、掘立柱が長く床の高い建物です。穀物などの収穫物や、そのほかの物資を収める倉庫として使われたと考えられています。床を地面から遠ざけることで湿気をさける、柱につけたねずみ返しの板によって動物の侵入を防ぐなど、収められた物を保存する工夫がみられます。
平床住居は、地上に丸太や板などを用いて柱や壁を立て、その上に屋根を作った建物です。この建物をモチーフにした立派な家形埴輪が古墳でしばしば見つかることなどから、特に平床住居で大型のものは、有力者の館として建てられたと考えられています。

 

これまでのコースがファミリーコース。戻れば、みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)で展示品を見たり体験ができたりで、家族でも楽しめます。

この日は月曜日なのでお休みでした(感染拡大で1月末まで休館中のようです)

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みよし風土記の丘ミュージアムのサイトでは、you tubeによる動画解説もありました。

常設展示「ひろしまの原始・古代」 - みよし風土記の丘・みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館) | 広島県教育委員会


www.youtube.com