2023年3月上旬、飛鳥の前週でしたが「まいまい京都」主催の嵯峨野古墳ツアーに参加しました。
【嵯峨野】考古学者と古墳にコーフン!石室の内部を探検しよう:~古代豪族のびっくり土木技術!古墳が密集する聖地、10の古墳めぐり~#ky23b015 | 京都のミニツアー「まいまい京都」
太秦から嵐山にかけての北側山裾に展開する古墳群を巡るツアーで、ガイドは考古学者の加納敬二さん。
いただいたパンフによれば、嵯峨野は京都市内で最も古墳が密集する地域で、確認されている古墳は大小合わせて約200基になるとのこと。
大覚寺古墳群や広沢古墳群、七ツ塚古墳群などには巨石を用いた横穴式石室をもつ大型円墳・方墳が築かれ、その後は北側の山麓や丘陵に径10~20mの小型円墳が10基以上密集する御堂ヶ池古墳群や音戸山古墳群、山越古墳群などの群集墳が多数造られますが、いずれも渡来系氏族・秦氏一族の墓と考えられているそうです。
1976年から20年かけて広域調査が行われ、1997年にはトータルに地域の歴史をまとめた「京都嵯峨野の遺跡」という報告書が刊行されています。
宇多野ユースホステルに集合して、西へと歩き出します。最初に目指すは御堂ヶ池1号墳。
ユースを出てすぐ、北側の宅地造成地に音戸山古墳群の南斜面支群があります。
上段の囲いの奥に墳丘が残っているとのこと。ここは遠望で。
そこから西へ、バス通りに出て下った交差点(一条山越通)に、普段は施錠されている柵がありました。
道路を300m近く登っていくと墳丘が。
北に800mほどにあった御堂ヶ池古墳群の主墳ですが、清掃工場への道路敷設に伴いこちらに移築されました。
古墳群としては円墳20数基から成り、標高100~140mの山中に点在している(いた?)そうです。
京都市登録遺跡 御堂ヶ池1号墳
御堂ヶ池1号墳は、右京区梅ヶ畑向ノ地町(当該地から北へ約700mの所)にあった古墳で、20数基からなる御堂ヶ池古墳群のうち最大のものである。
嵯峨野一帯には、古墳時代後期に造られたこのような古墳群が多数みられるが、この御堂ヶ池1号墳の規模は、直径約30mの円墳で、横穴式石室(全長8.3m以上、玄室長4m、同幅2.7m)を有している。本古墳の規模は同時代の他の古墳に比べかなり大型のものであり、付近に存在したムラの最有力家族の墓と思われる。
昭和58年3月に開発に伴い発掘調査を行った際、石室から須恵器・土師器・馬具・刀子などの副葬品が多数出土し、被葬者は石棺・陶棺・木棺を利用して埋葬されていることが判明した。
これらのことから、当古墳は6世紀後半に築造され、7世紀前半まで追葬が続けられたものと考えられる。
なお、発掘調査後、当古墳のもつ規模等を後世に永く伝えるためにここに移築保存を行ったものである。
昭和60年6月1日登録 京都市
立って入れるほど高さのある開口部。ここも扉の鍵が開きます。
玄室も大きい。ツアー一行が全員入れる石室でした。
スマホ広角で。高さは3mほどでしょうか。
奥壁を正面から。
奥壁を背にして。
丘陵の尾根上には、さざれ石(オリジナル)があります。露頭している岩塊で、周囲の木々が無ければ南の平地部からはかなり目立つランドマークであったとのこと。
バス通りまで降りてきて、しっかり戸締りを。
そこから西の広沢池へ向かいます。
道路の北側は印空寺境内ですが、
この木立の下が印空寺古墳。山越古墳群17号墳でもあり、径25m、高さ4m。未調査ですが内部主体は横穴式石室とみられるとのこと。