前回の曽根田白塚古墳の北400m程にあるのは後池古墳群。
尾根のすぐ北ですが、道が無いので3.6㎞迂回します。
道路脇の擁壁前に後池古墳群の解説板がありました。
後池(うしろいけ)古墳群
古墳時代後期
相方の後池周辺には、17基の横穴式石室をもつ、古墳時代後期(6~7世紀)の古墳が所在していました。残念ながら15基は、1994年の大規模開発により、消滅しましたが、第1号古墳と第17号古墳(西に160m)は整備保存されています。
また、発掘調査(1992~95年)により、相方っ丘陵部一帯は弥生時代から奈良時代までの墓が大量に確認され、古代の相方にくらす人々の霊園だったようです。
ここにある、後池第1号古墳の主体部は、南方向に開口し、前部は1960年代の開発で破壊されたまま、現状保存されていました。しかし、道路整備にともない古墳の整備がおこなわれ、事前の調査において、主体部の長さ6m、幅1.5m、高さ2.4mの片袖式の横穴式石室が確認されました。羨道部からは6世紀末の須恵器の蓋が出土しました。また、人骨が大量に出土したことから後世においても寄せ墓として使用されていたと考えられます。
新市商工会青年部 新市町教育委員会
解説板右の階段を上がったところ。枯れていますが生い茂る草。
一応、草の下には階段があります。
柵が無いと落ちますね。
落ちたら大怪我しそうなので慎重に進みます。
草をかき分けていくと開口部が。ロープも張ってあるのでここで撤退しました。
開口部上部、背面側から。
道路の向かいはゴルフ練習場。池に打ち込むタイプです。
その道路沿い、200m先に後池第17号古墳。
さきほどの解説板の地図では道路の北側に記されているので、南に移築復原されたもののようです。
説明板もありました(駐車場もあり)
後池第17号古墳
後池第17号古墳は1995年3月、造成中に見つかり調査されました。6世紀の終わりから7世紀の始めに造られた墓で、横穴式石室を持つ直径7~10mの円墳であったと考えられます。重さ2tの奥壁の石を運んだり、種類の異なる土をつき固めながら盛り土をする(版築工法)など、当時の土木技術の高さがうかがえます。
復原にあたっては失われた石を補い、版築工法によって盛り土しました。
新市町教育委員会
開口部正面から。
入りやすい室内。1号墳とはかなり対照的です。
石の隙間はコンクリでしっかり固められています。
奥壁を背にして。