前回の丸山塚古墳から1㎞ほど西南西には、乗場(のりば)古墳が残っています。岩戸山古墳まであと300mほどの場所。
古墳が載る地盤の周囲はぎりぎりまで道路で削られています。左の斜路が上り口。
そこに掲示されている解説。墳頂70mの前方後円墳です。
国指定史跡 八女古墳群
乗場(のりば)古墳
指定年月日:大正11年3月8日(昭和53年3月24日名称変更)
所在地:八女市大字吉田字乗場
乗場古墳は岩戸山古墳の東方約300mにある前方後円墳で、墳丘の長さ約70m、後円部径約30m、高さ約5m、前方部幅約35mで、高さは前方部がやや低い。
以前は周溝と周堤がめぐっていたが、昭和30年代に周囲を造成した際に削られた。
江戸時代のおわり、久留米藩士矢野一貞があらわした「筑後将士軍談」によれば乗場古墳はすでに「吉田村奈良山之図」として紹介され、周堤をめぐらした絵図があり、石人の出土も伝える。
石室の構造はほぼ南側に入り口がある全長約10mの複室構造の横穴式石室で、石室の玄室の奥壁と両側壁、前室の両側壁と袖石に彩色によって装飾文様が描かれている。出土遺物は明治~大正年間に発見された玉、馬具、土器があり、現在東京国立博物館に収蔵中。人物埴輪、環頭大刀柄頭は福島高校に保管されている。
古墳の年代は岩戸山古墳につぐ6世紀中頃から後半頃と推定されている。
平成4年3月 八女市教育委員会
江戸時代に絵図が描かれています。
どんな風に残っているのでしょうか
美しく残っていました。左奥が後円部。
そこから右手に前方部。
大正時代に建立された石碑。
くびれ部から上がりましょう。
上がって左手(西)に前方部。
右手(東)に後円部。
後円部への斜面から振り返った前方部。
平らな後円部墳頂です。
墳頂からの前方部方向。
後円部の南斜面には頑丈そうな石室保護施設が。
ドアの雰囲気からして、公開されることは無い感じですね。
そばにあった解説板。
乗場古墳の装飾文様
玄室の奥壁には、上部と下部に三角文がならび、中央部には赤色による円文、三角文と、靫かとみられる形象画がある。上部の三角文は赤、青、黄の三色を交互に用いて一段にならべ、下部の三角文は赤、青で二段にならべて描かれている。
両側壁の下部は赤色の痕跡だけとどめており残りは良くないが、上部は赤、青、黄による連続三角文が描かれ、三角文の境には刻線がある。
玄室入口の袖石には赤と青で同心円文、蕨手文、連続三角文があり、翳(さしば)状の図形もある。袖石の上に架された平石側面には、赤、青、黄の連続三角文が描かれている。
前室の両側壁も下部には三色からなる4段の連続三角文を描いており、上部には三色による同心円文と赤、青二色の縦方向の連続三角文が描かれている。
平成4年3月 八女市教育委員会
ここも華やかな装飾画ではないですか!
一度見てみたいものです。
前方部右裾へ回って全体像を。右奥が後円部。
前方部先端から東方向。奥の緑が岩戸山古墳ですね。
前方部左裾から。
ここにも八女古墳群自然遊歩道の陶板マップがありました。
八女市のサイトはこちら。シンプルです。
次がいよいろ岩戸山古墳です。
2024年11月下旬訪問