当初の目的地としていた金蔵山古墳を訪ねた後は、マップを見ながら山の中を巡り歩きました。
マップには金蔵山古墳の東側に「柿の木古墳」の印があるのですが、柿の木のある斜面には草が繁っており探訪は早々に断念。(しかし、道路のすぐ脇に開口していたのですね…)
そのあたりの園路からは操山北側の平野の眺めが。平野の対岸に残る備前車塚古墳や唐人塚古墳は4年前に訪ねました。
金蔵山古墳からの分岐に戻って、円山山頂へのルートをとります。
急登の小径の途中には巨石がゴロゴロ。
山頂は平らな広場(といっても林の中)
操山古墳群の説明板が。
操山古墳群
この古墳群には、6世紀~7世紀前半の横穴式石室墳が大半を占めていますが、4世紀初の古墳時代初頭に築造された大型前方後円墳も数多くあり、その最大のものが金蔵山古墳です。
横穴式石室墳は当時の有力者の家族墓として造られたと推定され、この時代の家族や村の構成を研究するうえから貴重なものとなっています。
マップ上の前方後円墳の印は金蔵山古墳のみですね。
山頂の「古墳の森ふれあい広場」の端には巨石が”集まる”一画も。
そことは逆サイドに、石鉄山古墳(操山54号墳)
墳頂から南側。すぐ先の膨らみが開口部ですが、開口部の写真を撮りそびれました。
石室内の様子。かなり奥まで続いています。
ズームで。這ってなら入れるかもですが、やめておきました。
山頂広場から東へ降りていく道の右手に操山56(55?)号墳。
回り込むと立派な開口部。
中を照らすと玄門の袖が見えました。奥壁側から入ったことになります。
玄門の右は閉塞石でしょうか。平滑な表面でした。
玄門を背にして、石が抜けた奥壁を。
その先の分岐点。マップを見ると500mほど先に59号墳がありますが、ここで西方向の「不動尊」へと向かいました。
不動尊への小径。一応熊除けのベルを鳴らしながら歩いています。
「横穴式石室」への分岐が!
分岐はちょっと草。
すぐ先に、操山58号墳がありました。
シダをおさえて内部を。
フラッシュで。ここも外からだけで。
その先に、円山不動明王があります。
この本殿の下にも横穴式石室があったことを、はにおさんの本「岡山100名墳」で、後で知りました。
振り返ると「百度石」
結構山の中なので実際にやるのは大変だと思います。大変だからこをやるのでしょうが。
次は金蔵山古墳がある山裾をトラバースして、二股古墳を目指しました。