前回の旗振台古墳から北に100mほど戻った三差路。右手前にも山を下りるルートがあるので4差路(5差路?)
上記の中央右の急登を進むと、ここも斜面に巨石がゴロゴロと。
こちらがその頂上にある、護国神社裏山古墳(操山13号墳)の墳頂。
標柱の左は露出した箱式石棺だったのでした。
標柱には、415?
北西側に降りた「7差路」にて。案内板の指す方向から降りてきました。
そこから北西に200mほど登った先に、萩の塚古墳(操山9号墳)
大きな開口部で室内も広々。
奥壁を。
天井石が煤けているのは、ここで戦前から茶会が行われていたからだったのでした。
萩の塚(はぎのつか)命名の由来
萩の塚古墳という名は、現在公的な地図にも書かれるようになっていますが、もともとはこの古墳周辺に萩の花が多く咲いていたことから名づけられたものです。
命名者は聖人弁護士と言われた家本為一(1886~1972)です。
ここ萩の塚は戦前から早暁に茶会が開かれ、半世紀以上の間、市井人・文化人・為政者問わず参集した場です。
現在は文化財保護の観点から行われなくなりました。
奥壁を背にして。
説明板があります。
萩の塚古墳
操山山頂から東に伸びた稜線の先端に築かれている円墳で、現状では小振り墳丘であるが、本来は直径10m、高さ2.5m程の規模であったと推定される。遺骸を葬る施設は左袖形の横穴式石室で、全長8.2m・幅1.9m・高さ1.9mを測り、中型の石室では大振りの規模といえる。築造時期は6世紀後半に推定でき、操山北山麓に住んでいた当時の有力者の家族墓と考えられる。
萩の塚古墳を背面から。